遅くなりました。散策会の報告です。
梅雨の最中でしたが、雨にもあまり降られることなく行ってきました。
2020年 7月18日(土)~19日(日)
1日目富山駅→宮崎城跡→昼食→松倉城跡→守山城
2日目 七尾城→小丸山城→昼食→石動山城→森寺城→富山駅
◆宮崎城跡
うっそうとした道路を車で登っていく間はどんな城なんだろうと心配でしたが、着いてみるとスゴイ眺望。よくぞこんな場所に城を築いたものだと驚かされました。
天気と写真はいまいちですが...(笑い)
この城は、越中越後の国境近くの要塞の場所に位置し、南北朝時代から戦国時代にかけ数たる武将が国境の攻防にしのぎを削る合戦の拠点となりました.






◆松倉城跡
道は細く、カーブも多いが本丸下の駐車場まで車で行かれます。
越中三大山城の一つで、越中守護代椎名氏の居城、空堀で区切られた5つの郭が見ごたえがあります。天気が良ければ本丸からの眺望は良いのに・・・
最悪なことにこの時間は傘が手放せなくなり、大見平に行くルートははかろうじて残っていましたが、危険なので今回は断念。平ノ峰、のろし台を確認して戻ってきました。たいした怪我はなかったものの2人転倒・・・
雨で写真がほとんどとれません😭




石碑の下は井戸だった 本丸跡 石碑 平ノ峰へ
◆守山城
越中三大山城の1つでありますが、現在は山頂を道路が通りわずかながらも土塁、石垣もみられたのですが、ここ数年の豪雨被害により通行止めとなってしまいました。
このようにしてだんだん遺構が消えていくのは悲しいことですね。
💛本日は結構車での移動距離が長く和倉の宿に到着をしたのが遅くなりました。和倉は海の近くなので夕飯は海の幸をいただきました。
シンプルだけど美味しかった
2日目
◆七尾城
この城は巨大な山城で、七つの尾根筋に多数の曲輪(屋敷跡)が連なっています。170年間、能登の守護・畠山氏の居城でありましたが、戦国時代怒涛の中で上杉謙信の攻撃により落城します。この城を手に入れた謙信の喜びはどれほどだったのか・・・
本丸からの風景を眺めていると、当時の謙信の思いがわかるようです。しかしこの勝利から半年後に病に倒れ死を迎えます。その後は、信長家臣の前田利家の居城となります。
本丸から二の丸にかけての多くの苔むした石垣が往時の歴史を感じさせてくれます。
今回は自動車での移動のため本丸より2km離れた百閒馬場にまで足を延ばしました。
安寧寺跡(畠山氏の霊廟跡)ではカモシカに遭遇しました(びっくり)



百閒馬場展望台 展望台からの眺め 本丸から富山湾



調度丸から桜馬門と桜馬門石垣



本丸石垣 遊佐屋敷石垣 温井屋敷跡



案寧寺跡で出会ったカモシカ 二の丸と三の丸の堀切
◆小丸山城
この城は行く予定ではなかったのですが、前田利家ゆかりの城という事で立ち寄りました。七尾城入城の後、金沢城に拠点を移す間の居城です。利家の出世城ですね。現在は公園として整備されていて展望デッキからの眺めは素晴らしい。大河ドラマ「利家とまつ」を記念して建てられた銅像とのこと。


◆石動山(せきどうさん)城
謙信が七尾城攻めの際、背後を押さえる目的でここに陣を構えたといわれている。
遺構はそれほど残ってはいないが、この山は山岳信仰の拠点霊場として栄え、多くの修験者が修行ををしていた場所です。その時代の遺構が残っていたり、復元されていたりで、別の意味で驚かされました。大宮坊はなんとなく一乗谷の唐門に似ている・・・



復元された大宮坊 城の入り口 五重塔跡
◆森寺城
駐車場はあるもののそこに至るまでの道は農道のように狭く注意が必要でしたがここまでは入れてホッとしました。
この城も能登の守護畠山氏により築城、その後上杉の支城となり、謙信の死後は信長家臣の佐々成政→前田利家と城主が変わっていきました。南北に細長い城で、搦め手口の食い違い虎口の遺構が残っていました。百閒馬場、二の丸本丸は歩きやすく石垣など確認できましたが野崎屋敷、サイダ屋敷と呼ばれている場所がありその土塁の先にブッシュで確認できない。時期をかえてもう一度行ってみたい城です。



案内板 搦め手口を守る空堀



二の丸に残っている石垣 本丸跡
◆氷見駅
マンホールカードがあるという事で氷見駅に寄ってきました。
なんと駅の屋根はブリでできていました(笑)
2日目は天気にも恵まれ暑かったです。
フライングをしながらもマンホールカード収集も楽しみました。時間に余裕があれば寄り道も可能なのはいいですね。それも少人数の散策会の楽しみです。
参加された皆様、お疲れさまでした。
「越中の城巡り散策会」は11月に2度目を予定しています。日は短くなりますが、ブッシュもなくなり今回見られなかったものが見れるかもしれませんね。