san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る松本城 屛風折塀 足駄塀復元を応援します

松本城のニノ曲輪、三ノ曲輪の土塁上の塀は横矢を仕掛けるための折塀が多くありました。現存はしていませんが絵図によって当時の様子を知る事が出来ます。

屏風折塀、横矢枡形折塀、邪(ひずみ)折塀、合横矢折塀、角落折塀が数多く築かれています。

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松本城の内堀には江戸時代には全国でも例をみない足駄塀が二ヶ所設置されていました。復元の予定があります。是非、復元して欲しいです。
一ヶ所は内堀西側(現在の埋門橋の位置)、もう一ヶ所は本丸と二の丸の間の内堀東側です。この足駄塀が、内堀と外堀に分けています。内堀と外堀を遮蔽し敵の船による水平移動を防ぐため、また「目隠し」として造ったようです。
構造は堀の中に杭を連続して打ち込み、水面上約1メートルの所から板塀を立て、その上に屋根が付けられています。元禄期松本城下絵図には板橋が描かれ上部が通路となっています。従って、その後ある時期に塀を増設し足駄塀になったと推定されます。
屋根は瓦葺、塀は下見板張りで、高さは埋門がある石垣と同高程度であったようです。
絵図でははっきりしませんが、明治末期に撮影された古写真には控柱が取り付けられています。

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赤枠部分の復元を是非進めて欲しいです。

この部分は用地買収も必要ありませんし丑寅櫓は後々の工事として足駄塀と折塀復元の予算計上を松本市に是非是非ともお願い致します。

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