明治30年代になると天守は傾き、倒壊の危機が出たため、松本中学校長・小林有也を中心として明治の大修理が、明治36年(1903)から大正2年まで行われました。この時傾いた天守に縄をかけて引き起こしたと言われています。その縄の跡と伝えられる柱が五階北側にあります。工事の方法は、昭和25年からの解体・調査報告によると、柱のほぞを切りながら高低を調整し床を水平にして傾きを直したと推定されています。
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