●現在地 南三の郭
井楼櫓が建っていたと思われる位置
井楼櫓 戦場で、敵陣を偵察するために四本柱を掘立にして井桁に組んだ簡単なものでした。
昔の盆踊りの会場に立っているもの又は火の見櫓に似た物です。高さは色々です。2.7丈(8m)から4丈(12m)位が普通です。丸太と板さえあれば簡単に出来ます。
応仁の乱のときに山名宗全が西陣に建てた大井楼は幅4間,高さ7丈(21m余)で,細川方が相国寺近くに建てたものは高さ10丈(30m余)以上もあったそうです。松代藩鐘楼井楼式高櫓は、高さは約12メートルです。
●現在地 南三の郭西虎口
●現在地 井戸跡
石礫は有力な武器でした。『信長公記』にも、三方ヶ原の戦いで武田信玄が足軽300人(礫衆)を先頭に立てて、石礫を投げて攻撃攻め込んできたと書かれています。
又、毛利家の記録によれば、ある合戦の死傷者150人中25人が「石」によるものだったと書かれています。
古くは「楠正成」の時代から投石を用い、「島原の乱」の際に籠城側が投げた礫で宮本武蔵が負傷したのも有名な話です。
尚、この礫の究極の達人があの「銭形平次」です。??
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