高見(四ツ山)城
二の郭
比企の歴史
比企は埼玉県の中央部に位置し、山地から丘陵、そして沖積地へと変化に富んだ地形が特徴です。平安時代に編纂された『延喜式』には武蔵国の郡名として比企が登場しますが、「ひき」は日置が語源で、日置部(ひおきべ)という太陽祭祀集団と関係するという説が有力です。ちなみに、鹿児島県には薩摩半島西部に日置郡があります。
戦国時代の城郭跡が密集していることも比企の特徴です。戦国時代には「菅谷館跡」が上杉氏によって再興されたほか、吉見町に「松山城」、嵐山町に「杉山城」、ときがわ町に「小倉城」が築かれました。この4城館跡は保存状態がきわめて良く、歴史価値も高いことから「比企城館跡群」として平成20年3月に国指定史跡となりました。比企には、このほか、小川町の中城、青山城、腰越城、東松山市の青鳥城、足利基氏館跡など、多くの城郭跡が残されており、これらを訪ね歩く歴史散歩も静かなブームとなっています。
なお、山城の多くは道が未整備なので、事前に嵐山史跡の博物館や各教育委員会で情報を手に入れ、支度を整えたうえで、蛇や蜂にも十分注意する必要があります。
比企地域元気アップ実行委員会「比企の歴史」より引用。有難うございます。
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