旧池田屋敷長屋門(現・彦根市尾末町6−43)は、彦根城の中掘に近い三の丸に建っています。かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯には、中級武家屋敷が広がっていました。
当建造物は彦根藩中級武家屋敷の典型をなす貴重な長屋門として、昭和48年に彦根市指定文化財に指定されています。
歴史まちづくり法に基づく事業として、国の補助を得て平成20年度から23年度にかけて全解体修理事業を実施いたしました。建造物調査、発掘調査の結果から、これまで伝承でしかなかった馬屋の跡が実際に確認され、馬屋を復元いたしました。藩士の馬所持については彦根藩では250石以上の藩士は馬扶持を支給されることとなっていた。
池田家は大阪陣以前「伊賀之者」として井伊直政に取り立てられた忍者の家であり、大阪両陣に従軍しています。後、士分となり、4代井伊直興に重用され一時は250石となり幕末期には180石の中堅藩士の家でした。
伊賀御歩行衆は二十人「伊賀御歩行七十人御歩行分限帳」。その先祖は伊賀国阿拝(あえ)郡の郷士であり、「忍術・火術熟得」していた。家老筆頭の木俣家によって代々支配されていました。
あの松尾芭蕉も伊賀国阿拝郡柘植郷の生まれです。(芭蕉忍者説・昭和の忍者ブームの時に生まれました)
「忍者」「忍びの者」「伊賀者」「甲賀者」と聞くとなんとなく闇の戦国時代を感じます。
子供の頃、近所の鉄工所で座金を削って十字手裏剣を作ってもらい、お寺の下見板に打ち込んで遊んだの(修業)を思い出します。(大人になったら忍者になろうと思っていました)
これがまた、良く刺さったんですよ。
映画は市川雷蔵「忍びの者」 大瀬 康一「隠密剣士」ですね。
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