san-nin-syuの城旅

san-nin-syuの城旅

「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ 5

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本所絵図       ①                  本所絵図 

 睡蓮を浮かべた水面、柳、そして池にかかる太鼓橋。モネはこの組み合わせを主題に18点もの作品を描いています。

広重の原画を、ゴッホがキャンバスの上に拡大模写したのです。

 芥川龍之介幼年時代から十代後半まで過ごした屋敷

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本所深川絵図              芝口南西久保愛宕下之図

【 長谷川平蔵にとっては就任以来、はじめての〔市中見回り〕であった。

平蔵の足は本所へ向かった。

本所には、彼の〔青春〕がある。

亡き父・長谷川亘雄にしたがい、父が町奉行となった京都へおもむくまで、長谷川家は本所・三つ目に屋敷があった。

鬼平犯科帳』本所・桜屋敷 池波正太郎 】

長谷川宣以平蔵の屋敷跡には、約五十年後に江戸北町奉行南町奉行となる遠山景元(ご存知桜吹雪の遠山の金さん)が居を構えた。

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芝三田二本榎高輪辺絵図

江戸薩摩藩邸の焼討 

慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩江戸藩邸庄内藩などによって焼き討ちされました。鳥羽伏見の戦い戊辰戦争の直接の引き金となった事件です。

― 板垣退助「維新前後経歴談」―

私(板垣退助)が戊辰戦争後に再び西郷(隆盛)君と会ふた時、西郷君は『板垣さんと云ふ人は恐ろしい人よ。他人の所へあんな物騒な浪士を放り込んで戦争をおツ初めさせるとは、深慮遠謀。… 何とも恐ろしい人よ』と茶化して私に言ふので『それはさてさて人聞きが悪い。近頃迷惑千万な話ぢやが、之を統御された先生(西郷)こそ随分と危険な御仁であつたやうに思ひまする。…とにかく首尾は上々、あれは好機幕開けでござりましたな』と申し上げたら、西郷君は呵々大笑したのを覚へてをります。(中略)あの江戸での浪士騒ぎが戊辰戦争の幕開けであつたと思ふてをります。

沙浜 落語の「芝浜」舞台

 やがておずおずと酒をついだ湯呑みを手にする。そして一旦湯呑みを口元に運ぶが、不意に手を止める。「よそう。また夢になるといけねえ」

古今亭志ん生古今亭志ん朝立川談志立川志の輔の「芝浜」がいいですねぇー。

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神田浜町日本橋北之図 築地八町堀日本橋南之図 京橋南築地鉄砲洲絵図 番町絵図

幕末江戸三大道場

「技の千葉」玄武館 道場主・千葉周作 北辰一刀流

神田於玉ヶ池(大千葉) 

主な門人 山岡鉄舟清河八郎藤堂平助山南敬助、森要蔵、平手 造酒

桶町千葉道場 道場主・千葉定吉 桶町八重洲(小千葉)

塾頭・坂本龍馬

「位の桃井」士学館 道場主・桃井春蔵 鏡新明智流

大富町蜊河岸

主な門人 塾頭・武市半平太岡田以蔵、山本琢磨、田中 光顕

「力の斎藤」練兵館 道場主・斎藤弥九郎 神道無念流 九段坂上

主な門人 塾頭・桂小五郎高杉晋作井上聞多伊藤博文品川弥二郎

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赤坂絵図   京橋南築地鉄砲洲絵図   芝口南西久保愛宕下之図 芝三田二本榎高輪辺絵図

勝海舟 幕末の三剣士といわれた島田虎之助に入門し直心影流免許皆伝

福沢諭吉 立見新流居合免許皆伝(達人の域)

日清戦争頃にある新聞社が企画した剣客達の座談会において、物故存命を問わず幕末「最強は誰か」という話題になった際全員が口を揃えて彼の名を挙げたとされる。

安政5年(1858)、福澤諭吉は中津藩から江戸出府を命じられ江戸の中津藩邸で蘭学を教えた。この蘭学塾「一小家塾」がのちの学校法人慶應義塾の基礎となったため、この年が慶應義塾創立の年とされている。 

慶応4年に元号をとって「慶應義塾」と命名

しかし、こう見て見ると幕末の志士は本当に文武両道でしたね。

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

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