県内最古の山城である。越中越後の国境近く、東は親不知の嶮、西は黒部川扇状地、北には富山湾を隔てて能登半島を望み、真下には日本海側の交通幹線の北陸道をふまえる城山地塊(標高249メートル)の山頂から山腹を利用して築かれた、天嶮と交通要地を押さえた防塞である。平安時代の終わりに近い寿永2年(1183)に、平家討伐の令旨を受けた木曽義仲が宮崎城の豪族宮崎太郎の一党とともに、後白河法皇の第二皇子「以仁王」の第一皇子「北陸の宮」をこの陣営に迎え入れて奉戴し、越中進攻と入京の足掛かりを固めた城である。
遺構 郭・土塁・石垣・堀切・虎口・古墳・供養塔
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宮崎城城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
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