san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る彦根城 三重三階地下一階望楼型複合式天守 1

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●現在地

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                          『井伊年譜四』享保年間編纂

(1)重要文化財(建造物)の名称

ア 名称および員数

彦根城天守・附櫓及び多聞櫓 2 棟

イ 指定年月日

昭和 26 年(1951)9 月 22 日(重要文化財

昭和 27 年(1952)3 月 29 日(国宝)

(2)重要文化財(建造物)の構造および形式

天守三重三階、地下階段室、玄関附、本瓦葺

面積: 天守 476.16 ㎡+玄関 11.31 ㎡=487.47 ㎡

附櫓及び多聞櫓 各一重櫓、本瓦葺

面積: 附櫓 50.71 ㎡+多聞櫓 75.67 ㎡=126.38 ㎡

天守 一階 桁行 21.212m、梁間 12.530m 二階 桁行 13.851m、梁間 9.342m

三階 桁行 11.563m、梁間 6.999m

天守玄関 桁行 3.939m、梁間 3.636m

附櫓 東面桁行 9.076m、西面桁行 5.167m、北面梁間 7.369m

多聞櫓 南面桁行 22.678m、北面桁行 21.342m、両端梁間 4.072m、中央梁間 3.115

天守三重三階、地下階段室、玄関附、本瓦葺

面積: 天守 476.16 ㎡+玄関 11.31 ㎡=487.47 ㎡

附櫓及び多聞櫓 各一重櫓、本瓦葺

面積: 附櫓 50.71 ㎡+多聞櫓 75.67 ㎡=126.38 ㎡

天守 一階 桁行 21.212m、梁間 12.530m 二階 桁行 13.851m、梁間 9.342m

三階 桁行 11.563m、梁間 6.999m

天守玄関 桁行 3.939m、梁間 3.636m

附櫓 東面桁行 9.076m、西面桁行 5.167m、北面梁間 7.369m

多聞櫓 南面桁行 22.678m、北面桁行 21.342m、両端梁間 4.072m、中央梁間 3.115m

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『井伊年譜』に「天守ハ京極家ノ大津城ノ殿守也、此殿守ハ遂ニ落不申目出度殿主ノ由、家康公上意ニ依て被移候由」とある。

天守の築城に関し、『井伊年譜』により、関ヶ原の戦いの大津城攻撃で落ちなかった縁起の良い天守として家康公の上意に依って、慶長 11 年に大津城の天守を移し格好よく仕直したものと解されて来た。昭和 32 年に実施された天守の解体修理調査で、『井伊年譜』を裏書きする墨書「慶長十一年六月二日 大工喜兵衛」が発見された。このことから、彦根城天守は慶長11年(1606)には完成したと考えられている。また、建物の部材の多くに、部材どうしの組み合わせ方を示した番号や符号が見つかり、4重5階の天守を移築して縮小したこともわかった。

鯱、瓦は小谷の土を使い、天守石垣は尾張衆、鐘の丸の石垣は越前衆を使うとある。

また「石垣ノ石櫓門マテ佐和山、大津、長浜、安土ノ古城ヨリ来ル」とある。

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御広間礎石。御広間6間×15間=90坪(297㎡)には台所や長局を付設。

大広間松の間は宇喜多秀家伏見屋敷書院の移築、画は狩野派一門、長谷川等伯等が描いている。

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