●現在地 ●現在地
この道路の左内側に幅7.2m深さ2.42mの外堀(四之堀)、堀の内側に高さ2.12mの土塁が築かれていました。江戸時代この道路は有りません。しかし、明治に入り同心円状の堀に合わせて道路を建設していきました。田中城の周りの道路は全周ではありませんが堀(外側)に合わせて道路が建設されていきました。
●現在地
徳川家康は、大御所として駿府城に隠居していたおり、志太地域に鷹狩りによく出かけ、その際、しばしば田中城を宿舎として利用したそうです。その時この平島口街道を使い田中城に入城したそうです。その後、御成街道と呼ばれるようになりました。
●現在地 馬上の清水
徳川家康は鷹狩りで田中城に立ち寄ったとき、のどの渇きを癒やす為、家来達にここの水を飲ませ、また家康本人も馬に乗ったまま飲んだので、この名前が付けられたといいます。
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