●現在地 ●現在地
●現在地
初代田中藩主となった酒井備後守忠利は、藤枝宿から城内に通じる大手口を開設し、東海道と田中城を最短距離でつなぎました。これにより、大手口が田中城の正門となり、平島口の城門(平島一の門)は開かずの御門となりました。
●現在地
田中城は土造り城でしたが、江戸期になると門や武家屋敷などで石垣が使われていきました。写真は、平島二之門跡から出土した石垣です。
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① フェンス左側は三之堀。幅18~27m、深さ1.7~4.2m 土塁高さ5mで全周を廻っていました。
② 江戸時代、三之丸二之丸本丸土塁上に狭間を設けた土塀が全周巡らされていました。
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