san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓(着見櫓)城内側

●現在地

上段の落積(谷積)部分は江戸時代、土塀白塗壁でしたが明治時代に撤去され、その後積み直されたと思います。高松城の瀬戸内海側の石垣上の土塀白塗壁、櫓は撤去後、皆、石積みにて補強されています。荒天時の瀬戸内海の波を考慮したものだと思います。

●現在地

水手御門は月見櫓の南に位置する薬医門です。

月見櫓と同時期に建築されたと考えられていますが、解体修理に伴う調査によって地下から古い礎石が発見され、幕末頃に建替えられたと推定されます。

海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけました。

●現在地

渡櫓は、水手御門の南に位置する総塗籠の平櫓です。

右側3間分は北新曲輪の新造前に存在した海手門の部材が再利用されており梁の継手の下面に「延寳四年卯二月十日山下某」(延宝4年1676年)とあります。この渡櫓も月見櫓と同時期に建築されたと考えられます。

渡櫓の東面には、石垣を継ぎ足した痕が残されています。写真は継ぎ足し部分を写したものです。

月見櫓は、松平氏入封以後新たに海面を埋立てて作られた北新曲輪の隅櫓として延宝4年(1676年)2代賴常の時代に完成した。櫓の外まで瀬戸内海でこの櫓は海手出入りの監視防備のための隅櫓であったとおもわれます。

月見櫓の構造は総塗籠造りの3重3階・入母屋造・本瓦葺きで、初重に切妻破風を設け、その下部に石落としが付けられている。二重目には唐破風を設けています。

内部には中心の4本の柱が2階部分で継ぎ足しながら3階天井まで延びています。また、南面には続櫓(平櫓)が付属しています。外壁は黒い長押を廻して装飾的に櫓を引き締めています。

日曜日の午前9時から午後3時まで月見櫓の内部公開と水手御門が開扉されます。是非、ご見学をお勧めします。

お問い合わせ 玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521  FAX:087-823-6390

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

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