san-nin-syuの城旅

san-nin-syuの城旅

「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸楽々園

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●現在地

楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、槻御殿と呼ばれていました。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。

井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園の建物は縮小気味に推移することが多かったと考えられますが、文化10年(1813)の11代藩主井伊直中の隠居に際して大規模な増改築が行なわれ、その後間もなく楽々園は最大規模に膨らみました。その大きさは現在の建物のおよそ10倍もありました。現存する「御書院」も、その際に新築されたもので、御書院に面して新たに「庭園」が築かれました。現在、枯山水となっている庭園がそれですが、古絵図を見ると満々と水をたたえています。

御書院の奥は「地震の間」「楽々の間」などへと連なります。地震の間は耐震構造の建物であるため今日そのように呼ばれていますが、当時は茶の湯に用いる「茶座敷」でした。楽々の間も同様に数寄屋建築であり、12代藩主井伊直亮により、地震の間のさらに奥に増築されました。「楽々園」の名の由来ともなった建物であり、 煎茶の茶室として近年注目されています。

この槻御殿は下屋敷であると同時に「隠居所」としても使用され、13代直弼は隠居していた11代直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。

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●現在地

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こけら(杮)葺 

椹(サワラ)や杉、栗、檜、榎など、筋目がよく通って削ぎやすく、水に強い材木を薄く短い板にして重ねて葺く。曲線的な造形も可能で、優美な屋根をつくることができ、主に書院や客殿、高級武家屋敷などに用いられた。 耐用年数は25年から40年程度

この年になり杮と杮《環境依存文字》の違いを知りました。お恥ずかしい。

かき(9画)     こけら(8画)

柿の市(亠+巾)で5画、杮の巿(中央の線を1画で書く)で4画。

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●現在地

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

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第38回特別展「甲府城のすべて─石垣と瓦の考古学─」

東日本で初期段階の織豊城郭である甲府城跡の最大の特徴は、築城期の野面積み石垣が今なお贅沢に残っていることであり、もう一つは、金箔鯱瓦をはじめ、装飾性の高い鬼瓦、板瓦など、瓦を中心とした築城期の特徴を示す豊富な資料が発掘されたことにあります。そして、これら長年にわたる発掘調査や石垣維持管理の成果は、平成31年2月の国史跡指定へと結実しました。

本展では、織豊城郭を象徴する金箔瓦を中心に、各地の発掘調査の成果と比較しながら、戦国時代から江戸時代にかけての激動期に築かれた甲府城の歴史的意義について、考古資料から改めて考えます。

開催期間 令和3年9月30日(木曜日)~11月23日(火曜日・祝日)

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/special/2021/special.html

この記事は

「Webサイト:山梨県立考古博物館」

「URL:https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/special/2021/special.html」より引用しています。有難うございます。

コロナ過の折です。緊急事態宣言が解除され外出可能な地域が多くなりましたが発掘現場、企画展、一般公開情報、博物館イベント等へ行かれる場合には必ず公式の情報をご確認下さい。

ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。

 

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 3

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●現在地

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         武蔵野から見る魚躍沼            ●現在地

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ミニ企画展『戦国大名 毛利氏三代』開催のお知らせ 町田市泰巖歴史美術館

今年(2021)は、毛利元就が元亀2年(1571)に没してから、ちょうど450年を迎える年になります。

戦国大名として乱世に名をはせた元就を中心として、志半ばで急逝した嫡男の隆元、関ヶ原の戦いなどで活躍した孫の輝元の毛利氏三代について、当館所蔵の史料をもとにご紹介いたします。

開催期間 2021年10月5日(火)~2022年1月10日(月・祝)

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.taiyo-collection.or.jp/news/

この記事は

「Webサイト:泰巖歴史美術館」

「URL:https://www.taiyo-collection.or.jp/news/」より引用しています。有難うございます。

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縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 2

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●現在地

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●現在地

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●現在地

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●現在地

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佐竹氏遺宝展

大名家資料は、華やかな大名の暮らしぶりを物語るとともに、その時代の工芸技術や歴史を証する貴重な文化財です。本展では秋田藩佐竹氏の歴代の肖像画、藩主所用の甲冑、夫人が使用した蒔絵の道具類など、佐竹氏ゆかりの文化財102点が一堂に会します。名族大名の歴史と美をご堪能ください。なお、千秋文庫(東京)が所蔵する佐竹文書34点は、これが秋田県内で初めての公開となります。

開催期間 令和3年9月18日(土)~11月14日(日)

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.akihaku.jp/kikakuten/2021/3satake/satake.htm

この記事は

「Webサイト:秋田県立博物館」

「URL:https://www.akihaku.jp/kikakuten/2021/3satake/satake.htm」より引用しています。有難うございます。

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縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 1

玄宮園は、江戸時代初期の延宝6年(1678)に彦根藩4代藩主井伊直興が造営したといわれる。玄宮園は御殿部分の「楽々園」に対して名付けられたものであるが、この呼称がいつ頃から用いられるようになったかははっきりしていません。

玄宮園の位置は城内の北東部で内濠と琵琶湖の入江(松原内湖)に挟まれた二の丸内にあり、築城当初は重臣川手主水の屋敷が建てられていたが、主水が大坂夏の陣で死亡してから後に、寛永元年(1624)ごろに下屋敷として建設されたといわれます。

玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。現在は、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と称しています。

玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられます。玄宮園は、広大な池水を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。池の水は、外堀からサイフォンの原理により導水していました。池には船着きがあり、園内で風流に舟遊びの一興を催すこともありました。また、松原内湖に面した庭園の北側の水門(埋門)から舟で琵琶湖まで出られるようになっていました。

江戸時代に描かれた「玄宮園図」には「臨池閣(りんちかく)」「鳳翔台(ほうしょうだい)」「魚躍沼(ぎょやくしょう)」「龍臥橋(りゅうがばし)」「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」 「春風埒 (しゅんぷうれつ)」「鑑月峯(かんげつほう)」「薩埵林(さったりん)」「飛梁渓(ひりょうけい)」「涵虚亭(かんきょてい)」の十景が付箋によって示されており、当時「玄宮園十勝」と呼ばれていたことが確認されています。

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●現在地

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                     ●現在地

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●現在地

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●現在地

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絵図から読み解く岩出山の城と町

近世岩出山の城及び町づくりは、天正19年(1591)に奥州再仕置軍の一員として徳川家康が岩手沢へ来たことから始まりました。家康は伊達政宗の新たな本拠を岩手沢城に決定して城の縄張りを行い、政宗へ引き渡します。政宗は米沢から岩手沢へ移ると、地名を岩出山と改め、本格的な城と町の建設に着手することとなります。

今年はこの年から430年の節目に当たることから、伊達政宗岩出山入部430年記念事業第3弾として、残されている絵図を分析し、家康や政宗が関った当時の城や町の様子を探る企画展を開催します。

開催期間 令和3年9月22日(水曜日)~11月28日(日曜日)

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.city.osaki.miyagi.jp/kanko/event/9265.html

この記事は

「Webサイト:大崎市 文化財課」

「URL:https://www.city.osaki.miyagi.jp/kanko/event/9265.html」より引用しています。有難うございます。

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N様 コメント有難うございます

江川英龍斎藤弥九郎の話し楽しく読ませて頂きました。江川酒の話しもまた、良いですね。

関連の写真を載せてみました。

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北条氏の贈答酒として織田信長豊臣秀吉徳川家康、そして私にも贈られて来ました。

江川酒・韮山です。

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                   ♪ あぁ、楽しさは酒の中から浮いてくる 

                     どんと どんと  浮いてくる 

                          酔って候!

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園石垣 パソコン直りました

パソコン直りました。本日より記事を再開致します。宜しくご覧ください。

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●現在地                          現在地より見る天守

玄宮園の石垣はすべて松原内湖に接しています。石材の搬入、資材の搬入、石垣の足場掛け工事等全てに難工事だったことが想像されます。当時は今のような作業船、重機が有りません。この時代の技術の高さに頭が下がります。

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        現在地より見る西の丸三重櫓  ●現在地

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●現在地

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●現在地

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