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『正保城絵図美作国津山城絵図』「国立公文書館デジタルアーカイブ」より引用
CC0 1.0 全世界 パブリック・ドメイン提供
津山市(津山郷土資料館所蔵)公式サイトの古写真をWikipedia:ウィキペディアより引用(パブリックドメイン)
津山城全景古写真西北面松平国忠 (津山藩城代家老、廃藩後に写真館主)
構造
天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守で、南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守であるが、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。天守台の高さは約3間、穴蔵の高さは11尺5寸、天守建物の全高は約23メートル。平面規模は初重、梁間10間(65尺)、桁行11間(71尺5寸)であった。初重の壁面の四隅には袴形の石落としを付け、各階4重目までに鉄砲狭間と矢狭間を開けた。最上階は明治期の写真では、戸板に覆われている様子が写されており、その下階の4重目は最上階とほぼ同規模に造られていることが寸法からも伺われることであるが、創建当初は外廻縁に高欄を廻らせていた。4重目の屋根は板葺きで、軒出も浅く造られていた。これは、言い伝えによると幕府からの咎を避けるためという。一方、国立公文書館に所蔵されている正保城絵図の『美作国津山城絵図』では天守の傍らに「天守五重高十一間」と注記がある。
階数 梁間(東西) 桁行(南北)
5階 (5重) 5間(33尺8寸) 6間(39尺3寸)
4階 (4重) 5間(33尺6寸) 6間(39尺5寸3分)
3階 (3重) 6間(41尺2寸) 7間(47尺8寸2分)
2数 (2重) 8間(50尺8寸7分) 9間(57尺2寸)
1階(初重) 10間(65尺) 11間(71尺5寸)
地下階(穴蔵) 4間半 5間
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ブログ名『歴史メグラー』
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神楽尾城の概要
神楽尾城の地理的・政治的条件
神楽尾城は、東西約20㎞、南北約10㎞に広がる津山盆地のほぼ中央に位置する神楽尾山(標高308m・二等三角点)に築かれた中世の山城です。
要塞堅固に築かれた本丸跡からは360度の眺望がきき、盆地内や周囲の山々や津山市街地が一望できます。まさに「四周展望の城」です。このように神楽尾城は地理的条件に恵まれ、しかも大規模で優れた構造を有しており美作有数の中世山城といえるでしょう。また、この城は、美作国府が置かれた時、国府の背後に当たり、美作国府軍団の根拠地であったのではないかかという説もあり、古くから政治的にも軍事的にも重要な存在であったと考えられます。
説明文と縄張図は「津山瓦版」より引用しました。有難うございます。
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『正保城絵図美作国津山城絵図』「国立公文書館デジタルアーカイブ」より引用
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天守曲輪は九番門を通り枡形に入り八番門を抜け天守曲輪に至ります。九番門前の敵は長櫓二重櫓から横矢を射られ、また八番門前では二重櫓門からの射線にさらされます。
天守曲輪への鉄壁の守りです。
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津山城の排水システム
排水をそのまま地下に流すと、地下には水がたまり、それが石垣を内側から圧迫して、最後には石垣が崩壊してしまいます。石垣にとっては内側からの水圧は大敵なのです。とくに石垣で囲まれた近世の城においては、水の処理がたいへん重要な課題であったため、石垣の外にいかに効率よく水を逃がすか、いろいろと工夫がありました。地下には暗渠排水が各所に張り巡られています。
この施設を通った排水は、石垣の基底部や石段の脇などに設置された排水溝により徐々に本丸・二の丸・三の丸と流されていきます。また、石垣の所々に四角い穴があいているのをご存知かもしれませんが、昔から「抜け穴」などと言われているこの穴が、石垣の内側から外側に水を逃がす「排水穴」なのです。城内に張りめぐらされた暗渠排水の中にはこの排水穴に通じているものもあるのです。 『津山城百聞録』より抜粋
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「干飯櫓」ご飯保存食、「道明寺櫓」道明寺粉(もち米が原材料の保存食粉類)、「荒和布(あらめ)櫓」はコンブ、「麦櫓」、現在の非常食が保存されていた一郭と思われます。
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