san-nin-syuの城旅

san-nin-syuの城旅

「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

滋賀県立大学オンライン公開講座

講師:滋賀県立大学 人間文化学部地域文化学科 教授 中井 均

講座名:「安土城の謎を解く」

織田信長の築いた安土城は天主が有名ですが、その実態は不明です。安土城は天主だけではなく、まだまだ解明されていない多くの謎があります。今回はそうした謎のなかから3つの謎を解き明かしたいと思います。

動画視聴の申込締切日は、令和3年2月26日金曜日ですのでそれまでにお申込みください。

この動画は令和3年3月22日月曜日までの期間限定

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.usp.ac.jp/info/a113/

ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。

1/16 緊急のお知らせ第3弾

緊急事態宣言が発令されたため1月以降に予定をしていた散策会
(2月27日発 『近江の城めぐり』は催行いたします)は凍結をいたします。
またブログでお知らせした記事も削除いたしました。

数日中に新たな日程をおしらせいたします。

ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。

 

縄張図片手に廻る松本城 三ノ曲輪 東惣堀 丸馬出

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●現在地  東惣堀

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●現在地  北門大井戸

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北門丸馬出跡

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●現在地      北不明門前丸馬出跡            裏手は旧開智学校

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捨堀                  

何故ここに捨堀が?

捨堀の詳しくはこちらのサイトへ

http://www.oshiro-m.org/wp-content/uploads/2015/04/20090716.pdf

 

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

 

「二本松城」復元へ弾み 発掘調査、絵図面の読解進む

江戸時代の二本松藩の本拠だった二本松市の国指定史跡「二本松城跡」(霞ケ城)の復元の機運が高まっている。きっかけは、同藩お抱え大工だった松田家所蔵の文書から城内の屋敷などの絵図や差図(平面図)の読解が進んでいるためだ。市は新年度から「二本松城の復元」を重要施策に位置付け、実現に向けた取り組みを進める考えだ。

詳しくはこちらのサイトへ

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210107-574060.php

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正保城絵図 正保元年(1644) 国立公文書館Webサイトより引用

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二本松少年隊

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縄張図片手に廻る松本城 三ノ曲輪 西総堀土塁

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●現在地  西総堀土塁

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西総堀土塁説明板

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西総堀土塁説明板

松本城址は発掘調査が数多く行われています。調査結果の報告も数多く発表されています。 松本市教育委員会文化財

発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」で詳しい発掘結果が見られます。

こちらのサイトを開きます

https://www.city.matsumoto.nagano.jp/miryoku/bunkazai/hakkutsu/index.html

発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」が開かれます

発掘された松本2014 松本城三の丸跡土居尻第5次調査、 2015 松本城三の丸跡土居尻第6次7次調査、 2016 松本城三の丸跡土居尻事例報告②、 2017 松本城外堀跡 南外堀第3次調査、松本城三の丸跡土居尻第9次調査、  2018 松本城外堀跡 西外堀第3次調査、第4次調査、松本城三の丸跡土居尻第9次調査、 2019 松本城三の丸跡大名町第3次調査、中心街に眠る大武家屋敷 ~池の土全部掘りました、松本城三の丸跡土居尻第11 次発掘調査

をクリック 

 「発掘された松本」の当日配布資料のダウンロードはこちら

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発掘調査の詳しい内容が見られます。

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御楼門前に「犬追物」遺構 鎌倉以来の伝統示す 鹿児島県埋蔵文化財センター調査

鹿児島市の鹿児島城(鶴丸城)御楼門前から、江戸時代前期の「犬追物(いぬおうもの)馬場」跡とみられる遺構が出土していたことが分かった。中世から続く犬追物は、鎌倉以来の伝統を持つ島津家の“お家芸”と言える武芸で、県内で遺構が確認されるのは初めて。2018年に柵の杭(くい)列が見つかっており、県立埋蔵文化財センターが調べていた。専門家は「鹿児島独特の歴史を物語る貴重な文化財。木製の遺構が絵図通りに残っていたのは奇跡的だ」と話す。

詳しくはこちらのサイトへ

https://373news.com/_news/?storyid=130933

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縄張図片手に廻る松本城 三ノ曲輪大手門

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女鳥羽川                ●現在地

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          大手枡形門址

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大手枡形門址説明板

松本城址は発掘調査が数多く行われています。調査結果の報告も数多く発表されています。 松本市教育委員会文化財

発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」で詳しい発掘結果が見られます。

こちらのサイトを開きます

https://www.city.matsumoto.nagano.jp/miryoku/bunkazai/hakkutsu/index.html

発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」が開かれます

発掘された松本2012をクリック 

松本城大手門枡形跡 第1次発掘調査

調査の目的

大手門枡形跡の遺構の残存状態を確認し、構造・規模・時代を明らかにする。

 「発掘された松本2012」の当日配布資料のダウンロードはこちら(PDF:7,081KB)

をクリック

松本城大手門枡形跡 第1次発掘調査 18-46ページ

発掘調査の詳しい内容が見られます。

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再度の籠城じゃ。家にいよう。みんなで打ち克とう。

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熊本市新型コロナウイルスの感染拡大防止のためのポスターが良く出来ていたので再度載せてみました。

熊本市のホームページから自由にダウンロードできます。

https://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&type=top&id=27984

日はまた昇る」 もう少しの我慢です。皆様の御一層のご自愛をお祈り申し上げ

ます。

 

 

光秀に滅ぼされた戦国山城 見事な石垣、天守台、井戸が現存 見通し悪く住民が整備へ

明智光秀丹波国平定戦「丹波攻め」で落城し、豊臣秀吉の時代に再建された兵庫県丹波市山南町和田の県史跡「岩尾城跡」でこのほど、地元住民らによる大掛かりな雑木伐採が行われた。野面積みの石垣がよく残り、「知る人ぞ知る」戦国山城だが、茂った木々で見通しが悪くなっていた。

詳しくはこちらのサイトへ

https://tanba.jp/2020/12/%E5%85%89%E7%A7%80%E3%81%AB%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%88%A6%E5%9B%BD%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E3%80%80%E8%A6%8B%E4%BA%8B%E3%81%AA%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E3%80%81%E5%A4%A9%E5%AE%88%E5%8F%B0/

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縄張図片手に廻る松本城

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松本城石碑

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日本古城絵図 享保10年(1725) 国立国会図書館Webサイトより引用

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現地説明板縄張図

戦国時代永正年間(1504-1520年)に、信濃守護小笠原氏林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。 天文年間には甲斐の武田氏による信濃侵攻が開始され、北信濃に至る信濃一帯を領国化した。1582年天正10年)、武田氏滅亡により城代馬場昌房から織田長益に明け渡された後、織田信長によって木曾義昌に安堵されたが、本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱において、同年6月には越後の上杉景勝に擁立され、小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還する。さらに徳川家康の麾下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した1590年天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城小笠原秀政下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び入城。大坂の陣以後は、松平康長水野家などの松本藩の藩庁として機能した。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家戸田氏嫡流)が代々居城とした。

構造 

典型的な平城。本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されている。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。これらは全て水堀により隔てられている。現存12天守の中では唯一の平城。

天守

5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は、2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。辰巳附櫓・月見櫓は、第3代将軍、徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主、松平直政が建てた。赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持つ。家光の善光寺参拝は中止になったが、天守に付属する月見櫓としては唯一の遺構となった。大天守は構造的には望楼型天守から層塔型天守への過渡期的な性格が見られ、2重目の屋根は天守台の歪みを入母屋(大屋根)で調整する望楼型の内部構造を持ちながら外見は入母屋を設けず強引に寄棟を形成している。ただ、強引とはいえ外見的には層塔型の形状を成立させているため、各重の屋根の隅は様々な方向を向いており、松本城天守の特徴のひとつとなっている。3階の、低い天井に窓のない特殊な空間が生まれたのはこのためで、パンフレットなどでは「秘密の階」と説明されているが、構造上は2重の上に生じた大屋根構造の名残りともいえる屋根裏的な空間を階として用いたことによるものである。内部は最上階(6階)の他に4階を白壁造りにするなど、ある程度の居住性が考慮されている。外壁は初重から最上重まで黒塗の下見板が張られており、この黒の原料は1950年(昭和25年)の修理工事着工までは墨によるものであったが、解体修理の際に漆塗りの痕跡が見つかったことから、修理工事が竣工した1955年(昭和30年)以降は黒漆塗りとなっている。乾小天守も構造的特徴は大天守と同様であるが、最上階に華頭窓が開けられている。

1930年昭和5年) 国の史跡に指定された。1936年昭和11年4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されている。     ウィキペディアWikipedia)より引用