san-nin-syuの城旅

san-nin-syuの城旅

「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓瀬戸内海側

●現在地

飛竜丸。初代高松藩松平頼重在世の寛文9年(西暦1669年)に、藩主の御座船として造られ、のちに、新造された御座船にも同じ名称が使用された。飛竜丸については、「御船□□役心得方覚書」に「2人掛り48挺立(大櫓)、水夫90人、凡(およそ)石目1092石3斗」と記されている。

水任流泳法は、高松藩松平頼重公が讃岐へ移封された直後から、讃岐は海辺の国なれば水練は武道の一班として藩士に修練させようと、翌寛永20年(西暦1643年)、今泉八郎左衛門盛行に命じて大的場堀溜海岸で藩士に伝習させた。毎年夏には、大的場水練所において藩主の上覧が行われ、藩の水練として奨励した。

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

 

企画展 武蔵武士と源氏 -鎌倉殿誕生の時代

比企地域には、畠山重忠の館跡と伝わる菅谷館をはじめ、武蔵武士に関する遺跡が各所に残ります。また源頼朝の流人時代を支えた比企氏や源範頼など、歴史の表舞台で活躍した人物に由縁の地が残され、地域にその歴史が刻まれています。
本展では、武蔵武士の本拠や鎌倉にかかわる出土品や歴史資料から彼らの足跡を辿るとともに、地域に遺る武蔵武士や源氏の伝説にも注目し、「鎌倉殿」誕生の時代を紹介します。

 会期 2022年10月1日(土)~11月14日(月)

詳しくはこちらのサイトへ 

企画展「武蔵武士と源氏」 - 埼玉県立嵐山史跡の博物館 (spec.ed.jp)

https://ranzan-shiseki.spec.ed.jp/tenzi/kikakuten

この記事は 「Webサイト:埼玉県立嵐山史跡の博物館」 「URL:https://ranzan-shiseki.spec.ed.jp/tenzi/kikakuten」より引用しています。有難うございます。

コロナウイルスの新変異株の感染が拡大しています。 発掘現場、企画展、一般公開情報、博物館イベント等へ行かれる場合には必ず公式の情報をご確認下さい。

ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓(着見櫓)城内側

●現在地

上段の落積(谷積)部分は江戸時代、土塀白塗壁でしたが明治時代に撤去され、その後積み直されたと思います。高松城の瀬戸内海側の石垣上の土塀白塗壁、櫓は撤去後、皆、石積みにて補強されています。荒天時の瀬戸内海の波を考慮したものだと思います。

●現在地

水手御門は月見櫓の南に位置する薬医門です。

月見櫓と同時期に建築されたと考えられていますが、解体修理に伴う調査によって地下から古い礎石が発見され、幕末頃に建替えられたと推定されます。

海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけました。

●現在地

渡櫓は、水手御門の南に位置する総塗籠の平櫓です。

右側3間分は北新曲輪の新造前に存在した海手門の部材が再利用されており梁の継手の下面に「延寳四年卯二月十日山下某」(延宝4年1676年)とあります。この渡櫓も月見櫓と同時期に建築されたと考えられます。

渡櫓の東面には、石垣を継ぎ足した痕が残されています。写真は継ぎ足し部分を写したものです。

月見櫓は、松平氏入封以後新たに海面を埋立てて作られた北新曲輪の隅櫓として延宝4年(1676年)2代賴常の時代に完成した。櫓の外まで瀬戸内海でこの櫓は海手出入りの監視防備のための隅櫓であったとおもわれます。

月見櫓の構造は総塗籠造りの3重3階・入母屋造・本瓦葺きで、初重に切妻破風を設け、その下部に石落としが付けられている。二重目には唐破風を設けています。

内部には中心の4本の柱が2階部分で継ぎ足しながら3階天井まで延びています。また、南面には続櫓(平櫓)が付属しています。外壁は黒い長押を廻して装飾的に櫓を引き締めています。

日曜日の午前9時から午後3時まで月見櫓の内部公開と水手御門が開扉されます。是非、ご見学をお勧めします。

お問い合わせ 玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521  FAX:087-823-6390

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

 

「南山城跡とその時代」

 南山城跡は倉敷市真備町船穂町にあった中世山城です。連続堀切(ほりきり)、畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)、土塁(どるい)、櫓台(やぐらだい)を組み合わせた強力な防御施設を持つことから、多くの注目を集めてきました。
 このたび岡山県古代吉備文化財センターは、この南山城跡の発掘調査成果をまとめた報告書を刊行しました。今回の企画展では南山城跡の出土品を一堂に展示します。併せて岡山県内の山城から出土・表採した遺物を展示し、城内での暮らしぶりや時代背景について紹介します。

令和4年5月18日(水曜日)~令和4年11月6日(日曜日)

詳しくはこちらのサイトへ 

令和4年度 企画展1「南山城跡とその時代」 - 岡山県ホームページ (pref.okayama.jp)

https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/683369.html

この記事は 「Webサイト:岡山県古代吉備文化財センター」 「URL:https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/683369.html」より引用しています。有難うございます。

コロナウイルスの新変異株の感染が拡大しています。 発掘現場、企画展、一般公開情報、博物館イベント等へ行かれる場合には必ず公式の情報をご確認下さい。

ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 二の丸 2 水門 

●現在地

           ●現在地

                     ●現在地

赤線内の痕跡

二ノ丸と三ノ丸の間の水門は、堀と海を唯一つなぐ重要な役割を担っています。『旧高松御城全図』(香川県ミュージアム蔵)には水門は描かれず、枡形が描かれています。また、二ノ丸北側の石垣には、石垣を一度取り壊して水門を作った痕跡が見られます。このことから、水門は現在のような形ではなく、また、現在の場所に無かった可能性が高いと考えられます。絵図では、内堀・中堀は直接海とは接しておらず、どのように堀の水の管理をしていたのか不明です。     高松市公式ホームページより引用

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。

本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」国宝 向日葵雄鶏図/伊藤若冲筆

本展は、宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する皇室の珠玉の名品に、東京藝術大学のコレクションを加えた82件の多種多様な作品を通じて、「美の玉手箱」をひも解き、日本美術の豊かな世界をご覧いただくものです。代々日本の文化の中心に位置して美術を保護、奨励してきた皇室に伝わる優品の数々は、特筆すべき重要な存在です。

会期 2022年8月6日(土)~9月25日(日)

詳しくはこちらのサイトへ

特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」/2022年8月6日(土)~9月25日(日)/東京藝術大学大学美術館 (yomiuri.co.jp)

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/tamatebako2022/

この記事は 「Webサイト:東京藝術大学宮内庁読売新聞社

「URL:https://tsumugu.yomiuri.co.jp/tamatebako2022/」より引用しています。有難うございます。

コロナウイルスの新変異株の感染が拡大しています。 発掘現場、企画展、一般公開情報、博物館イベント等へ行かれる場合には必ず公式の情報をご確認下さい。 ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。