『日本風景選集 岡山 内山下』 大正12年作 岡山城を“城山”と見立て、岡山城の城下の地域を「山下(さんげ)」と呼んでいました。 「内山下」は、岡山城の内堀の内側に位置していたことから名付けられたものです。本丸、二ノ丸です。対して、外堀に面した地区…
月々に出枡形見る月は多けれど 出枡形見る月はこの月の出枡形 安岡正篤(やすおか・まさひろ) 安岡正篤は1898年(明治31年)大阪に生まれました。若くして漢学に通じ、『王陽明研究』『日本精神の研究』等の著作で世に知られます。 1931年(昭和6年)には「…
『日本風景選集 岡山城』 昭和9年作 旭川対岸より見る天守 国立国会図書館デジタルコレクション、ボストン美術館、シカゴ美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリーパブリックドメイン、ウィキペディアより引用させて頂きました。 現在の写真 1945年(昭…
ブログ名『歴史メグラー』 ブログアドレス https://rekimegu.blog.fc2.com/ 「散策会最新のお知らせ」「散策会一覧」「散策会の様子」その他お城の旅関係の記事を配信しています。ご利用ください。 50代~70世代のお城(山城)、歴史廻りの会です。月に1回を…
1月中旬にいただいた胡蝶蘭です。 花が散り、初めて水栽培を試してみました。 6輪開花しました(喜)。 水栽培にご興味をもたれた方は「胡蝶蘭 水栽培」で検索してみてください。 一輪また一輪と咲いていくのを見ているのは楽しいものです。
畠山 重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実…
『日本風景選集 岡山後楽園』 昭和9年作 後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する…
1月中旬にいただいた胡蝶蘭です。 花が散り、初めて水栽培を試してみました。 開花しました(喜)。 水栽培にご興味をもたれた方は「胡蝶蘭 水栽培」で検索してみてください。 楽しいものですね。
建物跡は、掘立柱の建物で桁行7間、梁間4間(15×7.2メートル)の大きな建物から桁行3間、梁間2間(6×2.5メートル)の小さなものまであり、現在、本館の前に丸太を建てて建物があったことを標示しています。この建物跡は、柱と柱の間隔の長さや、出土した遺物…
『旅みやげ第二集 さぬきの高松城』 大正10年作 高松城米蔵曲輪艮櫓 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もありま…
搦手門復元図(画 田畑修) この城の最大の虎口です。外堀はさらに外側の谷とつながっており、木橋を渡ると長い坂をのぼった先が門(坂虎口)となります。門の両側の土塁は左右で前後に数mのくい違い(食い違い虎口)をもっていました。 嵐山町web博物誌ホー…
『日本風景選集 木曽川(犬山)』昭和6年作犬山城天守 現在の写真 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 国指定史跡 菅谷館跡 源平の合戦や、その後の鎌倉時代に活躍した鎌倉時代の有力武士「畠山重忠」の館跡とされます。菅谷館については、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』に畠山重忠が北条氏の策略によって命を落…
『東海道風景選集 名古屋城跡』昭和7年5月作 現在の写真 本丸堀外より見る名古屋城天守 名古屋城の1931年(昭和6年)のユーチューブ 中京テレビNEWSの記事で名古屋城の1931年(昭和6年)の様子がユーチューブで流されています。ご興味のある方は是非ご覧く…
天台宗寺院の大福寺は、延命山地蔵院と号します。大福寺の創建年代等は不詳ながら、賢仙が開山したといいます。当寺後背にある小倉城跡は「居館と目される大福寺平場とその背後に展開する梯郭式の要害部から構成される根小屋式山城(小倉城跡)」であること…
『松山城戸無門』 昭和11年作 伊予松山城戸無門は、本丸の大手入口の最初に位置する高麗門である。門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がない。敵を防備の要である筒井門へ誘いこむ戦術的意味合いがあると思われます。 国立国会図書館…
『日本風景選集 松山城名月』 昭和28年作 伊予松山城戸無門は、本丸の大手入口の最初に位置する高麗門である。門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がない。敵を防備の要である筒井門へ誘いこむ戦術的意味合いがあると思われます。 現…
岩盤を削った幅5m、最大高さ3mの切通し。削ったときに産出された石材は小倉城の石垣に使われたと思われます。 緑泥石片岩 結晶片岩は、変成岩の一種。広域変成作用により地下深部で剪断応力を受けて再結晶したため、雲母のような板状の鉱物や角閃石のような…
『白河城址之桜』 昭和21年作 現在の写真 ● 写生位置 現地の復元想定図 三重櫓。櫓とは武器の保管庫であることから、三重櫓も同様だと推測されるが、小峰城の天守閣のようなシンボル的な建物になっている。北側には張りだして石落としが設けられている。発掘…
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御台場と澪標が描かれています。 澪標(みおつくし) 澪標は川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟(船)の航行が不可能な場所が多く座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置され、航…
『日本風景選集 彦根城の残雪』昭和9年作 現在の写真 太鼓丸天秤櫓西側二階櫓 国立国会図書館デジタルコレクション、ボストン美術館、シカゴ美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリーパブリックドメイン、ウィキペディアより引用させて頂きました。 本日…
『日本風景選集 岡山城』 大正11年作 現在の写真 旭川対岸より見る岡山城天守北東面 写真/岡山市立中央図書館 1945年(昭和20年) 6月29日の岡山大空襲で焼失前の天守北西面写真 国立国会図書館デジタルコレクション、ボストン美術館、シカゴ美術館、アーサ…
『東京二十景 二重橋の朝』 昭和5年作 現在の写真 江戸城西の丸下乗橋(二重橋) 明治初期古写真 古写真の設計図です 「西丸二重橋建地割図」 『江戸城御外郭御門絵図』「享保十四己酉年閨九月 大棟梁甲良若狭」(1729年) 堀の深さ20数mの為、橋脚が建てら…
郭1(本郭)建物跡説明板 小倉城説明板 小倉城石碑 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦…
『東京二十景 平河門』 昭和5年作 江戸城三の丸平川門 現在の写真 元和6年(1620)仙台藩主伊達政宗ほか六名の東北諸侯によってつくられた江戸城三の丸の正門。 寛永12年(1635)に、高麗門、渡櫓門築造。枡形広さ 間口≒20m 奥行≒30m 600㎡181.8坪 堀巾45m 平…
搦手からの攻撃をこの大堀切と竪堀で断ち切っています 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご…
『大手門 春の夕暮れ』 昭和27年作 現在の写真 江戸城三の丸大手門戦災で焼けた櫓門復元前の江戸城大手門の風景です。
尾根道を使い相互に防備を固めています 横矢がかかっています 郭に挟まれ非常に攻めにくい虎口です 縄張図、説明板、説明図は現地案内板を使用しています この竪堀右側に郭5と井戸郭への道がある 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げ…
『日本風景選集 熊本城宇土櫓』 昭和23年作 地震後の宇土櫓熊本城平左衛門丸宇土櫓 宇土櫓は一度解体してから復旧する必要があるということです。約10年の復旧工事だそうです。熊本市の大西市長は2022年11月22日の記者会見で、完全復旧は当初の計画よりも1…