san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る津山城 津山城下 津山藩江戸上屋敷

                    御対面所であり藩主の隠居所

曲水(庭園の曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌をよみ、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという遊び)

リリー 浅丘ルリ子出演作

第11作「男はつらいよ 寅次郎忘れな草

第15作「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」

第25作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」

第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」

私は「寅次郎ハイビスカスの花」が好きですね。

「江戸一目図屏風」について

江戸一目図屏風(岡山県指定重要文化財

「江戸一目図屏風」は、鍬形蕙斎が、文化6年(1809)に描いた江戸の景観図である。画面中央に江戸城を置き、その背後には富士山、そして左に江戸湾、下方に隅田川を配するなど、隅田川東部の上空から鳥になって江戸の町を見渡したような俯瞰図として、極めて写実的に見えるように描かれている。

蕙斎の「江戸一目図屏風」では、巧みな遠近感と画面構成の妙により、実際には距離も方位も少しずつ異なるそれぞれの部分を、違和感を与えることなく自然につなぎ合わせており、江戸時代を代表する新しい都市景観図の傑作として、その評価は極めて高い。

作者:鍬形蕙斎

作者の鍬形蕙斎は、俗称を三二あるいは三二郎といい、生年は不詳であるが、明和元年(1764)説が有力視されている。浮世絵師北尾重政に師事して修行し、天明元年(1781)には、北尾政美の画号を許された。ちなみに、著名な戯作者の山東京伝は、その兄弟子である。

寛政6年(1794)、津山藩に絵師として召抱えられる。浮世絵師から武士になるという破格の出世であった。津山藩の家臣となって間もなく、三二から蕙斎へと改号し、お抱え絵師として狩野家へ入門した後には、名を改めて紹真と名乗る。寛政9年(1797)には、浮世絵師としての北尾の姓を改め、母方の姓である鍬形を本姓とした。

https://adeac.jp/tsu-haku/top/

津山郷土博物館/江戸一目図・津山藩江戸日記等 (adeac.jp)

1874年(明治7年)1月15日、川路利良の建議書が採用され、首都警保のために東京府下の警察事務一切を管理する、内務省管轄の東京警視庁を津山藩江戸上屋敷跡に設置(明治七年一月十五日太政官達第六号)。

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『正保城絵図美作国津山城絵図』「国立公文書館デジタルアーカイブ」CC0 1.0 全世界 パブリック・ドメイン提供

津山市(津山郷土資料館所蔵)公式サイトの古写真をWikipedia:ウィキペディアより引用(パブリックドメイン