縄張図片手に廻るお城
月々に出枡形見る月は多けれど 出枡形見る月はこの月の出枡形 安岡正篤(やすおか・まさひろ) 安岡正篤は1898年(明治31年)大阪に生まれました。若くして漢学に通じ、『王陽明研究』『日本精神の研究』等の著作で世に知られます。 1931年(昭和6年)には「…
畠山 重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実…
建物跡は、掘立柱の建物で桁行7間、梁間4間(15×7.2メートル)の大きな建物から桁行3間、梁間2間(6×2.5メートル)の小さなものまであり、現在、本館の前に丸太を建てて建物があったことを標示しています。この建物跡は、柱と柱の間隔の長さや、出土した遺物…
搦手門復元図(画 田畑修) この城の最大の虎口です。外堀はさらに外側の谷とつながっており、木橋を渡ると長い坂をのぼった先が門(坂虎口)となります。門の両側の土塁は左右で前後に数mのくい違い(食い違い虎口)をもっていました。 嵐山町web博物誌ホー…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 国指定史跡 菅谷館跡 源平の合戦や、その後の鎌倉時代に活躍した鎌倉時代の有力武士「畠山重忠」の館跡とされます。菅谷館については、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』に畠山重忠が北条氏の策略によって命を落…
天台宗寺院の大福寺は、延命山地蔵院と号します。大福寺の創建年代等は不詳ながら、賢仙が開山したといいます。当寺後背にある小倉城跡は「居館と目される大福寺平場とその背後に展開する梯郭式の要害部から構成される根小屋式山城(小倉城跡)」であること…
岩盤を削った幅5m、最大高さ3mの切通し。削ったときに産出された石材は小倉城の石垣に使われたと思われます。 緑泥石片岩 結晶片岩は、変成岩の一種。広域変成作用により地下深部で剪断応力を受けて再結晶したため、雲母のような板状の鉱物や角閃石のような…
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郭1(本郭)建物跡説明板 小倉城説明板 小倉城石碑 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦…
搦手からの攻撃をこの大堀切と竪堀で断ち切っています 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご…
尾根道を使い相互に防備を固めています 横矢がかかっています 郭に挟まれ非常に攻めにくい虎口です 縄張図、説明板、説明図は現地案内板を使用しています この竪堀右側に郭5と井戸郭への道がある 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げ…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 小倉城歴史 小倉城跡(おぐらじょうあと)にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えていま…
二の郭から本郭への攻め口です。竪堀と堀切で造られた食い違い小口があり、土橋を渡ると馬出状の平地に出ます。この平地状から本郭小口への攻撃ですが本郭下段部土塁上からの横矢を受ける事になります。 上田氏は、比企郡吉見町の松山城主です。 松山城の他…
三の郭から本郭への攻め口です。土橋を渡ると馬出状の平地に出ます。ここから本郭への攻撃ですが 本郭下段部からの横矢、上段部からの横矢、そして上段部小口からの背後への攻撃と攻め手は大変な混乱に陥ります。この地形は現在判然としません。写真で写し出…
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「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 青山城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。 城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メートルの山頂部に築かれた本曲輪を中心に、南西に二の曲輪、南東に三…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 高見(四ツ山)城 二の郭 比企の歴史 比企は埼玉県の中央部に位置し、山地から丘陵、そして沖積地へと変化に富んだ地形が特…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 カメラ位置 北三の郭 ●現在地 北三の郭 ●現在地 北三の郭北虎口 ●現在地 搦手口 本日もブログを見て頂きありがとうございま…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 北二の郭 ●現在地 北二の郭北虎口 カメラ位置 カメラ位置 カメラ位置 横矢掛り射線 カメラ位置 本日もブログを見て…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 本郭北虎口 カメラ位置 本郭北虎口 ●現在地 本郭西下帯郭 ●現在地 本郭西下帯郭先端竪堀 本日もブログを見て頂きあ…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 東三の郭より見る東二の郭 ●現在地 東三の郭 東三の郭土塁 カメラ位置 この規模の中世山城が、木が伐採され下草も…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 本郭東虎口 ●現在地 本郭東虎口下虎口受け ●現在地 東二の郭 ●現在地より見る東二の郭空堀 ●現在地より見る本郭空…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 本郭南虎口 本郭 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会い…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 井戸郭東虎口 ●現在地 井戸郭 川越・児玉往還(鎌倉街道上道) 川越・児玉往還は、川越から高坂、嵐山、奈良梨、児…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 南二の郭 ●現在地 南二の郭東虎口 ●現在地 南二の郭西虎口 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 井戸跡腰郭竪堀 ●現在地 南三の郭屛風折り ●現在地 帯郭 ●現在地 食い違い虎口 虎口の類型 平入り虎口 もっとも基…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 南三の郭 井楼櫓が建っていたと思われる位置 井楼櫓 戦場で、敵陣を偵察するために四本柱を掘立にして井桁に組んだ…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 ●現在地 斜面に対して並行に掘られたものが「竪堀」です。曲輪直下の斜面に掘られていることが多く、これによって…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 外郭から続く帯郭 帯郭より見る外郭 帯郭より見る東郭 本郭東郭の高低差が良く分かります ●現在地 本日もブログを…
「比企城館跡群」を廻ってみたいと思います。 杉山城跡と高見城跡は2021年4月からの記事と同じ内容です。 現地パンフレットより引用 ●現在地 外郭 南三の郭前 ●現在地 外郭 南二の郭前 屛風折り 土塁を何度も折り曲げて積み揚げ横矢を掛け守備側からの多角的…