san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

縄張図片手に廻るお城

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸楽々園

●現在地 楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、槻御殿と呼ばれていました。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。 井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園の建物は縮小気味に推…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 3

●現在地 武蔵野から見る魚躍沼 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 2

●現在地 ●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園 1

玄宮園は、江戸時代初期の延宝6年(1678)に彦根藩4代藩主井伊直興が造営したといわれる。玄宮園は御殿部分の「楽々園」に対して名付けられたものであるが、この呼称がいつ頃から用いられるようになったかははっきりしていません。 玄宮園の位置は城内の北東…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸玄宮園石垣 パソコン直りました

パソコン直りました。本日より記事を再開致します。宜しくご覧ください。 ●現在地 現在地より見る天守 玄宮園の石垣はすべて松原内湖に接しています。石材の搬入、資材の搬入、石垣の足場掛け工事等全てに難工事だったことが想像されます。当時は今のような…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸石垣 中濠 埋門(水門)

●現在地 二の丸石垣 中濠 ●現在地 玄宮園埋門(水門) ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 …

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸佐和口門右側多聞櫓

●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸馬屋(重要文化財) 家老屋敷跡

●現在地より見る本丸 近世城郭の中で、城内に往時の馬屋が現存するのは彦根城だけで、国の重要文化財に指定されています。建物はL字形をしていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場と馬繋場となってい…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸佐和口多聞櫓内部

二の丸佐和口多聞櫓 ① ① 佐和口多聞櫓の内部。城外側の壁(狭間のある壁)のみ、人の身長ほどの高さまで壁を厚くし鉄砲に対する防御を考えてある。 真壁造りは、木造建築の構造加構の一種で架構の柱を仕上げとして見せる工法である。現在は建築基準法で燃え…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸佐和口門

●現在地 二の丸佐和口門 二の丸佐和口多聞櫓(重要文化財) 佐和口門桝形 表門に通じる入口として、大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門の1つです。 左翼の佐和口多聞櫓は、端に二階二重の櫓が建ち、多聞櫓に連接しています。重要文化財です 多聞櫓は長…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸佐和口多聞櫓

●現在地 ●現在地 ライトアップ ●現在地 いろは松 佐和口門に向かう中濠に沿った松並木で47本あったのでこの名が付けられました。 現在34本残っています。通行の妨げにならないように、根が地上に出ない土佐松が植えられています。 本日もブログを見て頂きあ…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸家老西郷家屋敷長屋門 二の丸石垣 中濠

家老西郷家屋敷長屋門 ●現在地 家老西郷家屋敷長屋門 ●現在地 舟入れ ●現在地 本丸大手門橋 ●現在地 ●現在地 二の丸石垣 中濠 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイ…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸京橋口門跡

●現在地 二の丸京橋口門 二の丸京橋口門桝形虎口 桝形虎口 城郭は攻撃側が容易に直進できないようにするため枡形、あるいはそれに類する虎口を備え、侵入した敵を右折または左折させる場合が多い。 枡形には内枡形、外枡形、半出枡形がある。内枡形は、曲輪…

縄張図片手に廻る彦根城 三の丸より望む天守 京橋口門橋

二の丸石垣 櫓台跡 中濠 京橋口門跡 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸船町口門跡 中濠

●現在地 船町口門への射線 船町口門桝形虎口 船町口門桝形横雁木 犬走り 犬走り 塀を土塁や石垣の上に築く場合に、塀の外側に幅狭の小径状の部分。いずれも、攻城する敵の橋頭堡にならないように、できるだけ幅狭く形成される。 土塁や石垣の崩れを防ぐため…

縄張図片手に廻る彦根城 二の丸 長橋口門跡

彦根御城下惣絵図 天保7年(1836) 現地説明板複写 西の丸三重櫓から見る長橋口門跡 長橋口門跡 普段は不開門でした。付近の住宅との関係があると思いますが整備して一般公開して欲しいものです。 長橋口門跡 山崎橋跡 本日もブログを見て頂きありがとうござい…

縄張図片手に廻る彦根城 井伊家菩提寺豪徳寺

豪徳寺山門 豪徳寺(現・東京都世田谷区豪徳寺2丁目24番7号) 豪徳寺は世田谷城跡の西側にあり、もと世田谷吉良氏の館に接していた。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。 寛永…

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ 5

本所絵図 ① 本所絵図 ② ① 睡蓮を浮かべた水面、柳、そして池にかかる太鼓橋。モネはこの組み合わせを主題に18点もの作品を描いています。 広重の原画を、ゴッホがキャンバスの上に拡大模写したのです。 ② 芥川龍之介が幼年時代から十代後半まで過ごした屋敷 …

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ 4

礫川牛込小日向絵図 牛込門 小石川谷中本郷絵図 関から水がどんどん流れています。ドンドンと音を立てて流れているので、通称「どんどん」。 手塚良仙屋敷 幕末から明治初期の医師 漫画家手塚治虫の曾祖父 小石川谷中本郷絵図 水道橋 下谷絵図 江戸城鬼門除…

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ 3

築地八町堀日本橋南之図 石川島佃島 石川島 長谷川平蔵献策による人足寄場が作られ、その後石川島造船所となり第二次世界大戦後、石川島播磨重工業(現、IHI)となりました。 佃島 佃煮(庶民の味)はこの島で最初に作られました。毎朝、ご飯が美味しく食べ…

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ 2

築地八町堀日本橋南之図 日本橋 神田浜町日本橋北之図 現・三越本店 東海道・中仙道・日光街道・奥州街道・甲州街道、五街道の起点である日本橋。その東海道を描いた歌川広重の「東海道五十三次」シリーズの巻頭を飾るにふさわしく、参勤交代の大名行列が朝…

「江戸切絵図」と「浮世絵」で江戸時代にタイムスリップ

脱線します。どうもお城と関係なく脱線が多くなってきました。ご容赦を。 江戸切絵図と浮世絵を照らし合わせて見ていますと、想像力を掻き立てられ江戸の町をブラブラと歩いている感じで楽しくなってきます。江戸の暮らしの様子が浮かんでくる様です。今と昔…

縄張図片手に廻る彦根城 埋木舎 桜田門外の変

●現在地 埋木舎 彦根藩35万石の第11代城主直中の十四男として彦根城内に生まれる。1831年(天保2)17歳の直弼は、井伊家の家風に従って、藩から300俵の宛行扶持をもらい、尾末町の北の屋敷に移った。この北の屋敷を埋木舎と名づけ、1846年(弘化3)直亮の養…

縄張図片手に廻る彦根城 三の丸 池田屋敷長屋門

●現在地 池田屋敷長屋門 旧池田屋敷長屋門(現・彦根市尾末町6−43)は、彦根城の中掘に近い三の丸に建っています。かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯には、中級武家屋敷が広がっていました。 当建造物は彦根藩中級武家屋敷の典型をなす貴重な長屋門とし…

縄張図片手に廻る彦根城 三の丸 鈴木屋敷長屋門 外堀跡

●現在地 旧鈴木屋敷長屋門 旧鈴木屋敷長屋門(現・彦根市立花町2−10) 旧鈴木屋敷長屋門は棟束に文久2年(1862)の墨書銘があり建築年代のはっきりしている重要な建物です。 建物は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は、腰壁は…

縄張図片手に廻る彦根城 三の丸 長松禅院

城の形式は連郭式平山城。本丸、二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置された。御殿は二の丸に置かれた。本丸に天守、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。山崎曲輪三重櫓は明治初期に破却された。なお、城の北側には玄宮園と楽々園という大名庭園が配さ…

縄張図片手に廻る彦根城 外町(惣構)磯島家辻番所 三の丸土塁

●現在地 善利組・旧磯島家住宅(現・彦根市芹橋2丁目5−19)は、旧芹橋12丁目の中央、中辻通りと交差する北西隅に位置し、その前庭の南端には、見張り窓を設けた辻番所と称する建造物が存在します。 見張り窓は2方向の通りに面して2箇所に設けられており…

縄張図片手に廻る彦根城 開発前の彦根城下

「彦根御城下惣絵図」 天保7年(1836) 彦根藩普請方により作製された彦根城下町全体の図 本絵図は、堀や道路、藩施設・居宅・寺院の間口・奥行まで寸法の書き入れがある藩の公式な図面 「御城内御絵図」 文化11年(1814) 彦根城第1郭、すなわち内堀より内側の…

縄張図片手に廻る彦根城 彦根藩

井伊家の家紋は二種類あり、定紋が橘紋(たちばなもん)で替紋が井桁紋(いげたもん)です。 井伊氏の祖が1032年(万寿9年)に井伊谷城(現・浜松市北区引佐町井伊谷306)を築城されたと伝わる。主郭、二の郭、三の郭からなる山城です。 1575年(天正3年…

縄張図片手に廻る彦根城 初代藩主井伊直政

彦根城は、滋賀県彦根市にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。 概要 江…