縄張図片手に廻るお城-松本城
松本城の世界遺産登録の取組み 松本城の世界遺産登録の運動は、「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会(平成13年7月設立、事務局:政策課、信濃毎日新聞社)が中心に進めています。国宝松本城が世界遺産に登録されるためには、まず、日本の世界遺産登録…
東西四間×南北三間で、柱と舞良戸という横に桟を打った薄い板戸だけの建物です。外には朱塗りの回縁(刎ね勾欄)がめぐらされ又船底天井と風流な造り。まさに月見櫓といった味わいある部屋になっています。 北・東・南の舞良戸を外すと三方が見渡され、各方…
★ ★ 戦国の世なら石落を作る場所ですが、泰平の世になって増設された櫓です。石落は造られていません。狭間は一応有ります。 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(…
昭和の大修理の際に解体したところ、元の設計では六階(赤枠部分)は廻縁が廻り高欄がつく構造でした。しかし信州の寒さ対策、雪対策から壁を高欄の位置まで出して六階が作られたと思われます。 「天守櫓拝借懇願書」「建言書」(ともに写) 明治時代に松本…
明治30年代になると天守は傾き、倒壊の危機が出たため、松本中学校長・小林有也を中心として明治の大修理が、明治36年(1903)から大正2年まで行われました。この時傾いた天守に縄をかけて引き起こしたと言われています。その縄の跡と伝えられる柱が五階北側…
天正13年(1585)家康の懐刀と言われていた石川数正が徳川家より出奔して豊臣秀吉に臣従。 天正18年(1590)河内国内8万石から信濃国松本十万石で加増移封。 小笠原時代の松本城の整備と城下町の拡充に着手。 『信府統記』は次のように記しています。 「数正…
天守3階 天守4階 「御座所」 戦時に城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられています。ここに籠る時は、戦闘の最終局面を迎えることになります。三間四方となっていて、小壁をおろし、内法長押を廻しています。 本日もブログを見て頂きありがと…
「舟形肘木(ふながたひじき)」 梁を繋ぐとき、その部分が弱くなるので下から舟形をした材をあてて強化しています。 「当世具足」 合戦における一般的な装備品を身に着けた甲冑が展示されています。刀を差した甲冑に、玉込め用のカルカを背中につけ、腰には…
市役所より見る松本城 「天守土台支持柱」 天守台の中に埋め込まれた16本の栂の柱のうちの1本です。昭和に行われた発掘調査では、この土台支持柱の大部分が腐食し、形を成していたのはこの1本だけでした。この柱が腐食していたため、重さ約1000トンの天守は…
天守一階に、武者走りとそれより一段約45cm高い母屋部分があります。母屋部分が高くなっているのは、土台を二重に入れたためです。床下を見ると二重に組み合わせた土台が確認できます。 非公開部分である天守1階の床には「謎の穴」がある。松本城管理事務所…
●現在地 「出桁(だしげた)構造の腕木」初重の屋根の垂木を受ける出桁を支えるために、太い腕木が一階天井隅に突き出ています。 「すて瓦」 屋根の上に平瓦が敷かれているところがあります。この瓦は「すて瓦」といいます。上の階の屋根から雪が凍ってすべ…
●現在地 本丸南面 ●現在地 月見櫓 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。
天守群北東面 月見櫓 辰巳付櫓 天守 渡櫓 乾小天守 天守群北東面 月見櫓 辰巳付櫓 天守 渡櫓 乾小天守 ●現在地 北裏門址 ●現在地 埋門址 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サ…
●現在地 複合連結式層塔型5重6階天守 天守群東面 天守群東面 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 ど…
●現在地 本丸黒門桝形門 本丸黒門土橋より見る内堀 黒門(一の門 渡櫓門) 城内より見る黒門 松本城保存の功労者 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、…
●現在地 天守群西面 足駄塀 足駄塀が、内堀と外堀に分けています。内堀と外堀を遮蔽し敵の船による水平移動を防ぐため、また「目隠し」として造ったようです。構造は堀の中に杭を連続して打ち込み、水面上約1メートルの所から板塀を立て、その上に屋根が付…
●現在地 天守群南西面 水門址 天守群南西面 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦くださ…
●現在地 天守群南面 天守群南面 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。
●現在地 本丸黒門 本丸黒門 ●現在地 本丸黒門 ●現在地 天守群南東面 天守群南東面 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可…
●現在地 丑寅櫓址 丑寅櫓址より見る ●現在地 土蔵(御金蔵) 土蔵 慶応3年(1867)建造、御金蔵として使用。維新間近です。動乱に備えて急遽建築したものと思われます。 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる…
●現在地 城内側より見る太鼓門 二の丸御殿址 「駐蹕」とは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること。また一時、その土地に駐留すること。駐輦(ちゅうれん)と同義である。 難しい言葉ですね。 ●現在地 御殿址より見る天守群 本日もブログを見て頂きあ…
●現在地 ニノ曲輪太鼓門 太鼓門(二の門高麗門) 太鼓門(一の門渡櫓門) 松本藩八万石第二代藩主石川玄蕃頭康長の名からつけられた。 復元門内 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています…
本丸北裏門 ●現在地 本丸北裏門土橋(水戸違い) ●現在地 天守群北面 ●現在地 ●現在地 若宮曲輪(辻馬出) 若宮曲輪より見る天守群 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの…
松本城のニノ曲輪、三ノ曲輪の土塁上の塀は横矢を仕掛けるための折塀が多くありました。現存はしていませんが絵図によって当時の様子を知る事が出来ます。 屏風折塀、横矢枡形折塀、邪(ひずみ)折塀、合横矢折塀、角落折塀が数多く築かれています。 松本城…
●現在地 ニノ曲輪丑寅櫓址 ●現在地 ●現在地 □足駄塀 ニノ曲輪 内堀 本丸折廻し櫓址
●現在地 外堀 ●現在地 太鼓門説明板 ニノ曲輪 太鼓門桝形 鵜首 虎口前の土橋を狭める防御方法 太鼓門土橋より見る ●現在地 ●現在地より見る太鼓門 ●現在地より見る丑寅櫓台 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いで…
松本城址は発掘調査が数多く行われています。調査結果の報告も数多く発表されています。 松本市教育委員会文化財課 発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」で詳しい発掘結果が見られます。 こちらのサイトを開きます https://www.city.matsumoto.nagano.jp/…
●現在地 東惣堀 ●現在地 北門大井戸 北門丸馬出跡 ●現在地 北不明門前丸馬出跡 裏手は旧開智学校 捨堀 何故ここに捨堀が? 捨堀の詳しくはこちらのサイトへ http://www.oshiro-m.org/wp-content/uploads/2015/04/20090716.pdf 本日もブログを見て頂きありが…
●現在地 西総堀土塁 西総堀土塁説明板 西総堀土塁説明板 松本城址は発掘調査が数多く行われています。調査結果の報告も数多く発表されています。 松本市教育委員会文化財課 発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」で詳しい発掘結果が見られます。 こちらの…
女鳥羽川 ●現在地 大手枡形門址 大手枡形門址説明板 松本城址は発掘調査が数多く行われています。調査結果の報告も数多く発表されています。 松本市教育委員会文化財課 発掘された松本「松本市遺跡発掘報告会」で詳しい発掘結果が見られます。 こちらのサイ…