san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻るお城-高松城(讃岐国)

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 4

本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 3

●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 2

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縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 1

「栗林公園」 本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守地下

●現在地 玉藻廟の基礎を撤去すると、地下1階の全貌が明らかとなりました。その規模は、上端で東西約14メートル,南北約12.6メートル,下端で東西約13.6メートル,南北約12.2メートル,深さ約2.7メートルです。床面では礎石が58個検出され、入口の6個を除く52…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守地下

●現在地 天守地下入口 地下石垣 ●現在地 天守台四方 本丸 中櫓石垣 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 地久櫓 天守台

●現在地 「老子」から。「天長地久」天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと。難しい言葉ですね。 ●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにし…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 鞘橋 本丸

●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守復元イメージ 鞘橋

高松城復元の取組 パンフレット「高松城天守-天守復元の取組-」刊行 文化財課では、高松城の天守復元に関する取組を紹介するパンフレットを作成いたしました。 高松城の天守は、かつて四国最大の規模を誇りましたが、老朽化により明治17(1884)年に解体さ…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 披雲閣庭園

●現在地 ●現在地 玉藻廟 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 一文字土居 

●現在地 一文字土居石垣造りの一文字土居(蔀土居)です。三の丸御殿の入口であった桜御門を潜ると、御殿が見えないように、また直進できないように、直線の土塁が設けられていました。 一文字土居(勢留石垣) 虎口の内側や外側に、一文字形の防塁(土塁や…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守台 桜御門

●現在地 天守古写真 明治15年 天守台玉藻廟 本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。 玉藻廟は,高松松平家第11代 当主松平頼聰が松平家鎮守の廟 として高松…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 桜の馬場 生駒時代大手門

●現在地 桜の馬場 西の丸内の桜の馬場。その名のとおり桜が植えられ、馬場があった。現在は桜の花見の名所になっている。 生駒時代大手門があったが、御殿であった披雲閣が三の丸に移されたためこれを廃し、新たに桜の馬場東端に旭橋と旭門を設けた。桜の馬…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓櫓(移築艮櫓)

●現在地 説明板 太鼓櫓(移築艮櫓) ●現在地 艮櫓 古写真 艮櫓より見る枡形 狭間 ●現在地 ●現在地より見る太鼓門枡形 艮櫓 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓御門(大手御門)

●現在地 太鼓門説明板 石碑 旭橋 旭橋より見る中堀 旭橋より見る太鼓櫓 太鼓門高麗門 高麗門 旭門 案内図 枡形内埋門 ① ② ① 笑い積み 大きな石を中心に置き小さな石を周りに積んで、大きな石が口を空けて笑ったように見立てた積み方です。 生駒親正藩主の遊…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓御門 移築艮櫓

東ノ丸は生駒氏にかわって入府した松平氏によって新造された部分で、1671年(寛文11年)頃より行われた大改修の際に北方の海辺を埋め立てて築かれた曲輪です。 海辺の為、地盤が軟らかい場所に石垣を築くとき角度を90度でなく鋭角75度から80度で積み崩…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 東の丸 2

余談です。高松城の初代藩主は水戸黄門のお兄さん。兄を差し置いて水戸藩の藩主となった黄門さまは自分の跡取り(水戸藩主)に兄の子を迎えました。それに感動した兄は黄門さまの子を高松城の藩主として迎えます。以後250年、明治維新まで実子の無い時こ…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 東の丸 1

東の丸 1671年(寛文11年)の松平氏による大改修で、北の丸と共に北方の海辺を埋め立てて築かれた曲輪です。主に米蔵や艮櫓、巽櫓などが建てられた。海辺の為、地盤が軟らかい場所に石垣を築くとき角度を90度でなく鋭角75度から80度で積み崩れにくくし…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 北新曲輪月見櫓(着見櫓)

① ①『古今讃岐名勝図絵』 梶原藍水 著 高松城海上からの眺望 国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開(保護期間満了) 瀬戸内海に映える西の丸、二の丸、三の丸、北新曲輪、米蔵曲輪の各櫓、白塗壁の美しさは想像を超えるものがあったと思い…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓瀬戸内海側

●現在地 飛竜丸。初代高松藩主松平頼重在世の寛文9年(西暦1669年)に、藩主の御座船として造られ、のちに、新造された御座船にも同じ名称が使用された。飛竜丸については、「御船□□役心得方覚書」に「2人掛り48挺立(大櫓)、水夫90人、凡(およそ)石目109…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓(着見櫓)城内側

●現在地 上段の落積(谷積)部分は江戸時代、土塀白塗壁でしたが明治時代に撤去され、その後積み直されたと思います。高松城の瀬戸内海側の石垣上の土塀白塗壁、櫓は撤去後、皆、石積みにて補強されています。荒天時の瀬戸内海の波を考慮したものだと思いま…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 二の丸 2 水門 

●現在地 ●現在地 ●現在地 赤線内の痕跡 二ノ丸と三ノ丸の間の水門は、堀と海を唯一つなぐ重要な役割を担っています。『旧高松御城全図』(香川県立ミュージアム蔵)には水門は描かれず、枡形が描かれています。また、二ノ丸北側の石垣には、石垣を一度取り壊し…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 二の丸 1

●現在地 ●現在地 ●現在地 本丸 鞘橋 内堀 二の丸 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうか…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 

① ② ③ ④ ① 高松城は、香川県高松市玉藻町にある。国の史跡に指定されている。 高松城は別名「玉藻城」、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。 ② 城郭…

高松城の復元を進める市民の会

全方向が見える外観写真や、根拠のある絵画等の発見。何より構造を示す図面の存在。さらに仕様部材の特定できる資料などの発見が望まれます。 詳しくはこちらのサイトへ http://www.takamatsujyo.jp/album ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしてい…