今後の散策会の予定が変更しております。ご確認ください。
1月25日(月) 第1回 歴史講座
緊急事態宣言の発令により全館賃室使用中止となったため、講座は延期とさせていただきます。
2月6日(土)比企の城めぐりⅢ
延期とし、緊急事態宣言が解除されたのちに行う予定です。1月末に再度お知らせいたします。
2月12日(金)~紀州の城めぐり
中止とします。
変更がある場合はブログでお知らせします。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。
今後の散策会の予定が変更しております。ご確認ください。
1月25日(月) 第1回 歴史講座
緊急事態宣言の発令により全館賃室使用中止となったため、講座は延期とさせていただきます。
2月6日(土)比企の城めぐりⅢ
延期とし、緊急事態宣言が解除されたのちに行う予定です。1月末に再度お知らせいたします。
2月12日(金)~紀州の城めぐり
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標高約200メートルの山頂にある上月城跡。登山道には、防御設備の「堀切」跡などが残り、頂上には城を築いたとされる赤松一族の石碑が立っている。
詳しくはこちらのサイトへ
https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/202012/0013975726.shtml
ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。
五島列島福江島の富江半島一帯は、かつて戸の島(殿浦)と呼ばれていたが、寛永15年(1638年)に富江と改称された。 明暦元年(1655年)、五島盛清が、宗家である福江藩の五島家より3,000石を分知し(富江領)。寛文2年(1662年)富江(現・五島市富江町)に陣屋が築かれ、江戸永田町に上屋敷が置かれた。富江五島家は、表高家・交代寄合(大名格)として8代続き、明治に至った。陣屋跡地には、石塁や堀跡、米などを蓄えた石蔵などの遺構が残っている。また、陣屋大手門は、浄土宗明月山実相寺の山門として移築され現存する。 ウィキペディア(Wikipedia)より引用
五島市城郭位置図 ●現在地
石蔵 玄武岩の切り石積み石組
石蔵入口
石蔵高窓
移築大手門 平唐四脚門(実相寺)
本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。
本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。
本丸御殿とみられる遺構が見つかった、いわき市の磐城平城の発掘調査では、建物の基礎部分だけでなく、庭園跡が確認された。江戸時代を通じて何度か建て替えられた痕跡もうかがえるなど想像を超える成果を上げた。御殿跡が丸ごと出土する例は全国の城跡で珍しいとされ、専門家から学術的価値を高く評価する声が出ている。古里の宝を守り後世に伝えるため国史跡指定を目指すべきだ。
詳しくはこちらのサイトへ
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2020122582129
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今回の調査は、お抱え大工の松田家所蔵の絵図面「御内所屋敷差図」の信ぴょう性と、奥御殿の配置を確認するのが狙い。三ノ丸上段約2600平方メートルのうち約690平方メートルを掘削。
詳しくはこちらのサイトへ
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20201218-568676.php
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●現在地 本丸南西面石垣
●現在地 本丸南西面石垣
●現在地 本丸大手門(表蹴出枡形門)址
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