津山城全景古写真西北面松平国忠 (津山藩城代家老、廃藩後に写真館主)
構造
天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守で、南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守であるが、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。天守台の高さは約3間、穴蔵の高さは11尺5寸、天守建物の全高は約23メートル。平面規模は初重、梁間10間(65尺)、桁行11間(71尺5寸)であった。初重の壁面の四隅には袴形の石落としを付け、各階4重目までに鉄砲狭間と矢狭間を開けた。最上階は明治期の写真では、戸板に覆われている様子が写されており、その下階の4重目は最上階とほぼ同規模に造られていることが寸法からも伺われることであるが、創建当初は外廻縁に高欄を廻らせていた。4重目の屋根は板葺きで、軒出も浅く造られていた。これは、言い伝えによると幕府からの咎を避けるためという。一方、国立公文書館に所蔵されている正保城絵図の『美作国津山城絵図』では天守の傍らに「天守五重高十一間」と注記がある。
階数 梁間(東西) 桁行(南北)
5階 (5重) 5間(33尺8寸) 6間(39尺3寸)
4階 (4重) 5間(33尺6寸) 6間(39尺5寸3分)
3階 (3重) 6間(41尺2寸) 7間(47尺8寸2分)
2数 (2重) 8間(50尺8寸7分) 9間(57尺2寸)
1階(初重) 10間(65尺) 11間(71尺5寸)
地下階(穴蔵) 4間半 5間
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『正保城絵図美作国津山城絵図』「国立公文書館デジタルアーカイブ」より引用
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津山市(津山郷土資料館所蔵)公式サイトの古写真をWikipedia:ウィキペディアより引用(パブリックドメイン)