san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

              ★San-nin-syuの城旅「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします★ 右サイドバーカテゴリーより見たいお城をクリックしてください★

幻の城 坂本城出現

琵琶湖が深刻な水不足で“幻の城”坂本城出現 ダム貯水率0%.

ご興味のある方は是非ご見学を。

詳しくは下記サイトへ

https://news.yahoo.co.jp/articles/ed165d57e82fc8262dc7200e1515ee6059fbde82

深刻な水不足で“幻の城”出現 ダム貯水率0%...乾いた土が 関東の“3カ月”は暖冬傾向(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース

現地案内板

 

カテゴリー階層化進行中

ブログの「縄張図片手に廻るお城」「グスク石垣廻り」のカテゴリー階層化を進めて行きます。

なるべく早く作業を進めます。

宜しく御了承お願い致します。

カテゴリーより見たいお城をクリックしてください。

本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

今年度の発掘調査で、本丸「乾角御矢倉」とされる隅櫓の遺構を発見 永原御殿(野洲市)

国史跡永原御殿跡 発掘調査区(野洲市永原1031番地)

 永原御殿(野洲市永原字馬場ノ内)は、江戸時代初期に徳川家康から徳川家光までの三代の将軍が上洛時の宿泊に利用した城郭です。

史跡整備に先立って実施している今年度の発掘調査で、本丸「乾角御矢倉(いぬいすみのおんやぐら)」とされる隅櫓(すみやぐら)の遺構(いこう)を発見しました。

詳しくはこちらのサイトへ令和4年度 国史跡永原御殿跡発掘調査現地説明会(3月18日)/野洲市ホームページ (yasu.lg.jp)

https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/bunkazaihogo/nagaharagotenato/1677989720942.html

 この記事は 「Webサイト:野洲市教育委員会 文化財保護課」 「URL:https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/bunkazaihogo/nagaharagotenato/1677989720942.html」より引用しています。有難うございます。 

長久手市郷土資料室特別展「小牧・長久手の戦いと徳川家康」

天正12年(1584年)羽柴(後の豊臣)秀吉と徳川家康が唯一直接対決した「小牧・長久手の戦い」がこの地で繰り広げられました。
本特別展では、小牧・長久手の戦いの概要を説明するとともに、長久手市内にある家康ゆかりの史跡や文化財について紹介します。

また、長久手古戦場再整備事業の一環として、愛知県立芸術大学が制作している長久手合戦図屏風の復元模写制作過程の紹介も行います。

令和5年2月21日(火曜日)から3月19日(日曜日)まで

詳しくはこちらのサイトへ この記事は 「Webサイト:長久手市くらし文化部 生涯学習文化財」 「URL:長久手市郷土資料室特別展「小牧・長久手の戦いと徳川家康」/長久手市 (nagakute.lg.jp)

https://www.city.nagakute.lg.jp/soshiki/kurashibunkabu/shogaigakushuka/4/nagakutekosennzyouyagaikatudousisetu/15772.html

より引用しています。有難うございます。

 

コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」の感染が拡大しています。 発掘現場、企画展、一般公開情報、博物館イベント等へ行かれる場合には必ず公式の情報をご確認下さい。 ネットや新聞、出版物等のお城の情報を記事にしています。著作権その他の権利に触れる可能性がある情報が多いので多くのニュースは発信出来ませんがご参考にしてください。

カテゴリー階層化

ブログの「縄張図片手に廻るお城」のカテゴリー階層化を進めてみたいと思います。

1ヶ月程「縄張図片手に廻るお城」シリーズをお休み致します。

なるべく早く作業を進めますのでお待ちください。

宜しく御了承お願い致します。

尚、「お城ニュース」今まで通り記事掲載を続けていきます。

 

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徳川家康と掛川三城ゆかりの武将物語

戦国時代から近世にかけ歴史に名を残した掛川城高天神城横須賀城。三城の歴史概要とともに出土品を紹介し、各時代に悩み苦しんだ人々を見つめる。
会期 1/28(土)~3/12(日)
詳しくはこちらのサイトへ

https://k-kousya.or.jp/ninomaru/pages/15/

この記事は 「Webサイト:掛川市二の丸美術館」 「URL:https://k-kousya.or.jp/ninomaru/pages/15/」より引用しています。有難うございます。
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縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 4

本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘」は、高松藩主の松平家11代の国もとの下屋敷として、228年間使用された。1745年(延享2年)第5代藩主頼恭が「名所60景」を撰名し、作庭が完成したとされる。「名所60景」は、南庭に46景と北庭に4景の、50景が現存する。

栗林公園には様々な大きな池があり、庭園部分の約2割を占めていて、これらは互いにつながっている。水源は紫雲山の地下水も多少あるが、おもに公園の南東隅にある「吹上」と呼ばれる場所で湧き出ていて、短く浅い小川となって池にそそいでいる。高松市のおもな河川である香東川は現在紫雲山の西を流れているが、往時この川の本流は紫雲山の東の栗林公園のある場所から中央通り(国道11号・国道32号)を通り、玉藻公園高松城址)の脇で瀬戸内海へそそいでいて、江戸時代の改築で本流を現在のように変えたあとも、伏流水が栗林公園で湧き出ている。現在は近くにある二つの井戸の水も使われているとも、往時はこの水源の小川で「曲水の宴」を行なったともいわれる。

ウィキペディアWikipedia)から転載。有難うございます。

●現在地

                     ●現在地

高松城天守復原の取組

パンフレット「高松城天守天守復元の取組-」刊行

文化財課では、高松城天守復元に関する取組を紹介するパンフレットを作成いたしました。

高松城天守は、かつて四国最大の規模を誇りましたが、老朽化により明治17(1884)年に解体され、現存しません。

高松市では、天守復元に向けた発掘調査・文献、絵図、古写真等の収集・類例調査などの各種調査を積み重ねています。

詳しくは下記のサイトをご覧ください。

https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kurashi/shisetsu/park/tamamo/bunzai20180813.files/tenshuhukugennnotorikumi.pdf

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