「館神」という城守稲荷様の後ろに厨子があり、その厨子は一度も開かれることがなかった。明治になって厨子の扉を開けると中にはなんと豊臣秀吉の木像が入っていました。築城した津軽為信と信枚は江戸幕府による改易の恐れも顧みず、津軽家を独立した大名と認め領地安堵してくれた秀吉を城内に祀っていたのであります。さすが北の梟雄津軽為信である。こういう話は私は好きですね。また為信は三成の遺児2人を自分の領地で匿っています。
「館神」だった木造太閤秀吉座像は1957年津軽家から革秀寺へ寄託されています。(非公開)
木造太閤秀吉座像 お寺に飾ってある秀吉木像の写真の複写 革秀寺
弘前城 小丸から見る本丸石垣・鷹丘橋
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