san-nin-syuの城旅
昭和の大修理の際に解体したところ、元の設計では六階(赤枠部分)は廻縁が廻り高欄がつく構造でした。しかし信州の寒さ対策、雪対策から壁を高欄の位置まで出して六階が作られたと思われます。 「天守櫓拝借懇願書」「建言書」(ともに写) 明治時代に松本…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。