昭和の大修理の際に解体したところ、元の設計では六階(赤枠部分)は廻縁が廻り高欄がつく構造でした。しかし信州の寒さ対策、雪対策から壁を高欄の位置まで出して六階が作られたと思われます。
「天守櫓拝借懇願書」「建言書」(ともに写)
明治時代に松本城天守で行われた博覧会の際に提出されたものです。原本は松本市立博物館で常設展示されています。松本城は235両あまり(米価比較で約400万円)で落札され、取り壊しの危機にあいました。下横田町の副戸長、市川量造は天守を守るため5回にわたって松本城天守で博覧会を開き、その収益と寄附金で天守の買い戻しに成功しました。
国宝指定書(写)
松本城は昭和5年(1930)に国宝保存法によって国宝に指定され、戦後の昭和27年(1952)に現在の文化財保護法によって再指定されました。大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の五棟すべてが国宝に指定されています。
享保12年(1727)閏1月22日、戸田丹波守光慈に宛てられた安曇・筑摩郡地方の内松本6万石安堵の徳川吉宗朱印状。
二十六夜神
元和3年(1617)松本に入封した戸田氏が祀ったとされています。月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたといわれています。関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。
桔木(はねぎ)構造
屋根裏に太い梁が井の字の形に組まれ、写真のように四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されています。これは天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないように支えるため、テコの原理を使ったものです。
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