小幡城は寛政川に面し三方を水田に囲まれた比高20mほどの舌状台地の東側に築かれている。現在西側には東関東自動車道が通っていて、こちら側に大手門があった。城内は深い幅広の空堀を当時のままの状態で迷路のように巡らせていて、複雑に入りくんだ郭や変形武者走り、櫓跡、折などさまざまな工夫がみられる。
築城年代は定かではない。室町時代(1420年頃)に大掾詮幹(だいじょうのりもと)の三男義幹が築城し、以来、義幹の子孫は小幡氏を名乗ってこの城主となったという伝承があるが、大掾氏の当主に詮幹と言う名の者はおらず、その三男とされる義幹の存在も証明できないため信憑性は薄く、築城者や築城年は不明である。しかし、平成17から18年にかけての東関東自動車道路建設のための小幡城の発掘調査では15世紀代に遡る遺構・遺物が認められることから15世紀に築城されたと推測されている。
本丸に残る井戸には、落城のときに金の鳥を抱いたお姫さまが身を投げたという、悲しい伝説が残っている。 茨城町教育委員会 生涯学習課Webサイトから引用
関東でもトップクラスの土塁・空堀。写真では伝わりにくいですが圧倒されます。いたるところに折り歪み(横矢)が設けられていてなかなか攻めきれません。私有地との関係も有りますが復元整備し文部科学省と協議すれば、充分、国史跡になる可能性があるかもと私は思います。
堀の深さ、状態等がわかり易い様に人物の後ろ姿を一緒に写してあります。写っている方はご迷惑と思いますがどうかご了承のほどお願いいたします。
写真ではこの城の縄張り、土塁、空堀の素晴らしさは伝えきれません。是非是非訪城をお勧めします。コロナウィルスが収まり(希望的観測)下草が枯れてくる11月中旬以降が良いと思います。
関東鉄道バス(水戸駅~石岡駅)の『新小幡』停留所下車 徒歩約20 分
常磐自動車道・岩間ICから10分 入口近くに10台分位の駐車場有
小幡城 国土地理院地図 元図に加筆修正 正確ではありません
グーグルマップ引用 小幡城遠望 小幡城跡
大手門(土門)跡 現在地 大手門(土門)跡
城内より見る土門左側七の郭土塁跡 城内より見る土門右側七の郭土塁跡
現在地 五の郭・七の郭 現在地 畑の藪七の郭土塁跡 六の郭
本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。
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