N様コメントありがとうございます。「開陽丸」私も見に行きました。この艦ありせば・・・歴史に「もし」はないですね。写真載せてみました。
開陽丸は江戸幕府大老井伊直弼の意思を継いだ老中安藤信正によってオランダより導入された江戸幕府の軍艦である。オランダで造艦され、1867年(慶応3年)3月25日に横浜へ入港した。最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待されたが、徳川軍艦としてわずか1年数ヶ月、1868年(明治元年)11月15日、蝦夷地・江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。
1975年(昭和50年)、江差町教育委員会によって世界初となる水中・産業考古学の対象として発掘・調査プロジェクトが発足した。大砲やシャフト等の遺構から古文書まで3万点以上の遺留品の引揚げが行われている。1990年(平成2年)4月、江差町に史料館として開陽丸が復元された。現在は開陽丸記念館がある。
開 陽 丸
開陽丸 スクリューシャフト 開 陽 丸
メインマスト フォアマスト 煙 突
16サンチクルップ砲 ガトリング砲
江差港 巡視船「かむい」
「かむい」 響きのいい船名です。アイヌ語で神、精霊といった意味です。
このガトリング砲と開陽丸のガトリング砲は構造は同じです。アメリカ合衆国特許第36.836号
「開陽丸」は人力で毎分200発の連射速度、「かむい」はモーター式で毎分6000発の連射速度です。
本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。
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