龍岡城は、長野県佐久市田口にある日本の城跡。幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。龍岡藩は1万6千石の小藩で、城主の格式は認められていないため、厳密には城ではなく陣屋である。日本に二つある五芒星形の星形要塞のうちの一つである(もう一つは北海道函館市の五稜郭)。別名は龍岡五稜郭、あるいは桔梗の花にたとえて桔梗城。国指定の史跡。
龍岡城が出来上がったのは、函館五稜郭の完成(1864年)から3年後である。総面積は約2万75坪で、五稜郭に比べ規模は約半分である。
築城当時、内郭の中央に御殿が置かれ、正門、通用門はそれぞれ東北、東南の凹面に、また非常門は西北と南南東の凹面に設けられていた。このほか、藩士の長屋や火薬庫、太鼓楼、歴代藩主の祠堂や稲荷社などがあった。
稜堡式の形状を取り入れているが、本来ならばすべての稜堡に置かれるべき砲台は西南角に一基しかなく、4~5間(約7~9メートル)という水堀の幅は在来の城と比べても狭い。裏山からは城郭が一望でき、周囲の山から砲弾が届く距離であるなど、軍事施設としては問題を抱える。一坂太郎は、稜堡式の外見は乗謨の西洋築城術に対する学問的興味が高じたものであって、(実戦に備えた要塞としてではなく)あくまでも藩主居館として設計されたものと評している。 ウィキペディア(Wikipedia)より引用
縄張図 北門枡形虎口 北門枡形石垣落積み
谷積み(落積み) 隅を立てて積む積み方で、石を斜めに落とし込んで積む方法です。江戸時代の後期、1800年代中期以降に見られます。この積み方は最近でも土留工事で使われているので、現在でも多く見ることができます。(今は同じ形のコンクリートブロックを積む)
蕃松院裏山は田口城跡 ●現在地 大手左側角面堡・水堀
●現在地 大手左側角面堡・水堀 通用橋 通用橋先角面堡
●現在地 穴 門 橋 台 跡
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