san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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幻の帰雲城

白川郷のなかで帰雲城(かえりくもじょう)は、その歴史や秘められた伝説をはじめ、郷愁を呼び起こすその名からいって、ことのほか私たちの空想やロマンを誘う実在した城です。

なかでも公共的な出役(労働)義務とは別に、家々の私的な関係において行われる代表的な共同労働が「結(ユイ)」「合力(コウリャク)」と呼ばれ、各家の生活維持や生産支援のために大切な役割をはたしてきました。

鎌倉時代以降、白川郷が歴史の脚光を浴びるようになるのは、八代将軍足利義政の命を受けた内ヶ島上野介為氏(うちがしまこうずのすけためうじ)が寛正元(1460)年に牧戸(荘川村牧戸)に城を築き、白川郷征服の拠点としてからのことです。ついで、寛正5(1464)年に為氏は北へ進出して帰雲(かえりくも)の地(保木脇)に別の城を構え、その後120年間、四代にわたる居城として数々の歴史を刻んでいきました。

しかし、天正13(1585)年11月29日(新暦1月18日)の午後11時ころ、東海・北陸・近畿の広い地域を襲った巨大地震によって庄川右岸の現帰雲山が大崩落を起こします。これによって、帰雲城をはじめ、時の城主内ヶ島兵庫頭氏理(うちがしまひょうごのかみうじよし)以下一族家臣と、城下300余件、推定500人余り、牛馬にいたるまでことごとくが埋没してしまったとされています。

詳しくはこちらのサイトへ

 http://kankou.shirakawa-go.org/siru/773/

この記事は

「Webサイト:白川村役場」

「URL:http:// http://kankou.shirakawa-go.org/siru/773/」より引用しています。有難うございます。

 

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帰雲城(かえりくもじょう、かえりぐもじょう、きうんじょう)は、現在の岐阜県大野郡白川村三方崩山の下、保木脇(ほきわき)にあった日本の城である。内ヶ島氏の居城であったが、1586年天正13年)の天正地震による山崩れで城と城下町が全て埋没した。

略史

帰雲城は当地の武将である内ヶ島氏の居城であった。寛正年間(1461年 - 1466年)の1462年頃、内ヶ島為氏により築城された。

天正13年11月29日1586年1月18日)に天正地震が起き、帰雲山の崩壊で埋没。被害は埋没した家300戸以上、圧死者500人以上とされる。当日城内で祝宴が行なわれており、難を逃れたのは所用のため不在だったわずか4人と言われる[3]。城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡した。また、内ヶ島氏の領内に金山があったことから、城崩壊とともに埋まったとされる埋蔵金伝説がある。

立地

城のあった正確な位置は現在も特定されていない。保木脇に帰雲城趾の碑が建っている。この一帯では過去に土砂崩れがあったことは地質調査で判明しているが、碑の下に帰雲城が埋まっていると確認されているわけではない。

現在にかけて、幾度となく埋没した城を位置を特定しようとする試みが行われている。1972年(昭和47年)には、郷土史家などの手により「白川帰雲城・発掘保存準備委員会」が発足。近隣の神岡鉱山三井金属鉱業)の技術支援を得ることも検討されたが、特定には至らなかった。

1993年(平成5年)に発足した「白川郷埋没帰雲城調査会」は、江戸時代の地誌や古地図から帰雲川左岸のいずれかにあったと推定しており、2027年に試験的な発掘調査を予定している。

貝塚御座所日記の記述

本願寺門主顕如の側近で、当時大坂にいた宇野主水が記した「貝塚御座所日記」(宇野主水日記)には、天正地震での各地の被害情報が記されているが、帰雲城について以下の記述がある。

十一月廿九日夜四半時地震、夫ヨリ十余日不止、折々地震。〔……中略……〕飛州ノ帰雲ト モ在所ハ内島ト云フ奉公衆アル所也。地震ニテ山崩、山河多セカレテ、内島ノ在所ヘ大洪水ハセ入テ、内島一類地下ノ人々ニイタルマテ不残死タルナリ。他国ヘ行タル者四人ノコリテ泣々在所ヘ帰リタル由申訖。彼在所ハ悉淵ニナリタルナリ。〔……後略……〕

他、『越中国名跡志』という史料にも同様の記述がある。

ウィキペディアWikipedia)より引用

領内にいくつも金山を抱えていたことから、大量の黄金を蓄えていたと言われています。

近くには色々多くのお城が有ります。コロナ過が収まりましたら紅葉の頃に是非、会でも訪ねる旅(埋蔵金探し)を企画してみたいです。