san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る彦根城 外町(惣構)磯島家辻番所 三の丸土塁

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●現在地

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 善利組・旧磯島家住宅(現・彦根市芹橋2丁目5−19)は、旧芹橋12丁目の中央、中辻通りと交差する北西隅に位置し、その前庭の南端には、見張り窓を設けた辻番所と称する建造物が存在します。
 見張り窓は2方向の通りに面して2箇所に設けられており、見通しが良いように番所が通りに若干張り出しています。現地調査では、主屋を経由することなく通りから直接番所に入るようになっており、通りの辻の要所に番所を配して、城下への人の出入りをチェックしていたと考えられます。
 因みに足軽の鉄砲組と弓組の総数は37組であり、辻番所も37棟存在した可能性が考えられます。彼らは組単位に集住するように屋敷を割り当てられており、各組ごとに辻番所1棟が宛がわれ、交代で辻番の業務に就いたと推測されます。
 この辻番所は現存唯一の施設として貴重であり、足軽屋敷の機能や足軽の日常的な業務を考える上でも重要な歴史的建造物です。 「彦根市歴史まちづくり部 文化財課」

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●現在地

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●現在地

彦根城外堀の土塁見つかる 市内唯一(現・彦根市中央町7−40)

中央町の土塁の大きさは、高さが城内側で5・5㍍、城外側で6㍍以上、南北の幅が23㍍、東西の幅が底辺18㍍・上部4㍍の台形型。断面から9層になっていることも確認でき、外堀の構造を知る上で貴重な遺構。防御面から城内側と比べて城外側の斜面が急になっている。

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