san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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「江戸切絵図、浮世絵、古写真」を片手に江戸城三十六見附にタイムスリップ 8 鬼平と本所深川を歩く(2)

江戸城三十六見附。「浅草見附栄螺(/rp.さざえ)なら蓋のとこ」と川柳に詠まれた江戸城の濠の螺旋基点である浅草橋門から出発し、外堀(神田川)沿いに反時計回りに外堀を廻り、そして内堀を同じように反時計回りに歩く予定です。また、見附付近の江戸時代の史跡も見て廻りたいと思います。

今と昔をつなぐ古地図の魅力。

戸切絵図と浮世絵を照らし合わせて見ていますと、想像力を掻き立てられ江戸城と江戸の町をブラブラと歩いている感じで楽しくなってきます。江戸の暮らしの様子が浮かんでくる様です。

鬼平と本所深川を歩く(2) 『江戸切絵図』を上がほぼ北を向くようにしました

鬼平情景 長谷川平蔵ゆかりの地(高札スポット18箇所)を巡るルートです。

どうか巡ってみてください。

https://asakusakanko.com/onihei-joukei/

山岡鉄舟

山岡鉄舟天保7年(1836)6月10日、御蔵奉行だった旗本小野朝右衞門高福の五男として生まれ鉄太郎と名付けられました。

弘化2年(1845)、父が飛騨郡代となったため、小さい頃は飛騨高山で過ごしました。高山では、父が招いた井上八郎清虎から北辰一刀流を学びました。井上八郎清虎は、北辰一刀流千葉周作の門人で、海保帆平とともに玄武館の龍虎といわれた剣豪でした。

嘉永5年(1852)、数え年17歳の時に父が死んだため、江戸へ帰り千葉周作に剣術を学びました。

また同じころ、槍の名人と言われた山岡静山に槍を学びました。しかし、山岡静山が27歳で急死して跡継ぎがいなくなったため、静山の弟精一(のちの高橋泥舟)に望まれて、静山の妹英子と結婚し、山岡姓を名乗ることになりました。

勝海舟山岡鉄舟高橋泥舟はの三人は「幕末の三舟」として知られていますが、山岡鉄舟高橋泥舟は義兄弟だったわけです。

長禄二(一四五八)年、太田道灌江戸城築城にあたり、丑寅の方角である江戸平河に城内鎮護の祈願所を設けたことに始まるとされます。開山は本住院日住上人です。大永四(一五二四)年、道灌の孫の資高が父資康追善のために堂塔を再建、資康の法名をもって本住院から法恩寺と改めました。家康入府後は、数回の移転を重ね、元禄元(一六八八)年に現在の地に定められました。

鬼平犯科帳では、数作品に登場します。「本所・桜屋敷」には平蔵と左馬之助が門前の茶店「ひしや」で湯豆腐と熱燗で二十余年ぶりに旧交を暖める場面が登場します。「尻毛の長右衛門」では、冒頭に寺裏手の木立の中で布目の半太郎と引き込み役のおすみが逢引する様子が描かれています。(墨田区掲示より)

銭は、中央に四角い小さな孔をあけた円形の 金属貨幣で、国内では七世紀後半の富本銭の鋳造に始まると考えられています。八世紀初頭から 十世紀半ばにかけては和同開珎をはじめとするいわゆる皇朝十二銭が鋳造されました。公鋳銭の発行は、平安時代の末から長らく途絶しましたが、寛永十三年(一六三六)六月、江戶幕府は芝網縄手と浅草橋場、近江坂本に銭座を設け、寛永通宝を発行するようになりました。そして以後、幕末に いたるまで各種の銅銭が流通したのです。

江戶時代後期の有名な地誌、『新編武蔵風土記稿』によれば、当地にあった銭座はとくに「新銭座」の名で呼ばれ、その敷地は百二十間四方(約四万七千m)に及んだそうです。稼働期間は不明ですが、『古今泉貨鑑』によれば、元文元年(一七三六)十月二十日に裏面に「小」の一字を入れ た寛永通宝が鋳造されたよう です (右図)。運営は、幕府の御用商人が 請け負いました。幕府の財政経済資料をまとめた『吹塵録』(勝海舟編) には、野州屋・南部屋という二つの屋号が確認できます。

なお、墨田区内では、当地のほか押上や本所馬場、本所横川にも銭座があったとされ、とくに本所馬場では天保通宝(天保銭)を鋳造していたと伝わっています。

平成二十五年五月           墨田区教育委員会

次回は鬼平と石川島人足寄場、佃島を歩く 向井将監屋敷跡

 

古地図(江戸切絵図、浮世絵、古写真)を片手に江戸城三十六見附にタイムスリップ

記事引用一覧 引用先を開きますと拡大した鮮明画像が見られます。

『江戸切絵図』嘉永2年(1849) 『江戸名所図会』天保5年(1834)から同7年(1836)

神田川通絵図』天明5年(1785) 『名所江戸百景』安政3年(1856)から同5年(1858) 

『江戸絵図』正保元年(1644)   『絵本江戸土産』嘉永3年(1850) 

『錦絵(浮世絵)でたのしむ江戸の名所』文政12年(1829)

国立国会図書館デジタルコレクションオープンデータより引用 

『旧江戸城写真帖』(六十四枚)明治4年(1871) 蜷川式胤編  1帖   重要文化財

東京国立博物館オープンデータより引用

江戸城御外郭御門絵図』御作事方大棟梁甲良豊前享保2年(1717)

神田上水々元絵図』貞享ノ頃 (1684-1687)

 東京都立図書館オープンデータより引用 

『正保年中江戸絵図』正保元年-正保3年(1644-1647)

国立公文書館デジタルアーカイブより引用 

参謀本部陸軍測量局 五千分一東京図測量原図明治17年 (1884) 

国土地理院所蔵五千分一東京図測量原図より引用

『迅速測図』明治16年 (1883) 測量 『空中写真』国土地理院ウェブサイトより引用 

「江戸一目屏風図」国立歴史民俗博物館ウェブサイトよりのダウンロードを推奨いたします

アメリカ合衆国パブリック・ドメイン・マーク 1.0より引用 

CC0 1.0 全世界 パブリック・ドメイン提供より引用 

Gettyミュージアムコレクションオープンコンテンツより引用 

引用表示の無い「古写真」「浮世絵」はウィキペディアWikipedia)』より引用

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