江戸時代末期に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、1855年(安政元年)に完成した。石田城(福江城)と並び日本における最後期、かつ、北海道内で唯一つの日本式城郭である。城は本丸から三の丸まで総面積21,074坪で、三重櫓、二重櫓、太鼓櫓が建てられた。城の強化のため、外郭石垣の輪郭を大きくし、さらに内側に二重の石垣を設置。建物の壁も、その外側に落とし板が付けられた。また旧式城郭として異例の砲台が三の丸に7つ置かれ、城のほかにも海岸砲台が16砲台33門築造された。 箱館戦争では、明治元年11月5日(1868年12月18日)に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。明治維新後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし1949年(昭和24年)6月5日に類焼により焼失。そのため、創建当時から現存する建築物は切妻造の本丸御門と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)および旧寺町御門(現在の阿吽寺山門)のみである。今も残る曲輪・石垣などを含めた城跡が国の史跡に指定されている。 ウィキペディア(Wikipedia)より引用
松前城絵図(北海道大学附属図書館所蔵)webサイトより引用 松前城遠望
馬坂口
現在地 天神坂口
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