1日目 水戸駅→額田城跡→馬坂城跡→田渡城跡→助川海防城跡
◆額田城跡 (散策道が整備)
戦国時代における常陸の国最大級の群郭式平山城です。
久慈川の右岸、標高30mほどの台地上に築かれ谷形に地形を有効利用し周囲に広がる
低湿地を利用し堀としていす。現在、本丸、二の丸の堀、土塁等は ほぼ原形の状態で残っています
◆馬坂城跡
2日目 高部館→久米城跡→水戸駅
◆高部館
佐竹景義が鎌倉時代に築城、戦国末期の城です。遺構が非常に良く残されており、また整備もきちんとされていてとっても見学しやすく見応えのある城跡です。 南北に延びる10個の曲輪の城郭遺構です。 二の丸の先にある三日月堀も見事、東側は下までの一直線の天然の急斜面です
◆久米城跡
鎌倉時代の築城ですが詳細は不明。佐竹氏の大田本城の西側を防備する為の城であったと言われています。
本城のある鹿島神社一帯を中心とする東の城、谷をはさんで北西にある西の城、その北側に北の出城、東の城の南側に南の出城 の4区画から構成されています。
V字谷の垂直の壁など、どこも縦堀、二重堀、横堀、堀切り 等のオンパレードです。必見です。
戦国時代における常陸の国最大級の群郭式平山城です。
久慈川の右岸、標高30mほどの台地上に築かれ谷形に地形を有効利用し周囲に広がる
低湿地を利用し堀としていす。現在、本丸、二の丸の堀、土塁等は ほぼ原形の状態で残っています
◆馬坂城跡
佐竹氏が最初に本拠とした城。今は大半が住宅地、畑地となってます。畑のなかの本郭に建つ解説板。五段切岸は見事です。
◆田渡城跡
道路沿いの細い道が城の入り口です(わかりずらい)。築城時期、築城者はよくわかっていないが佐竹氏本城の太田城防御拠点だったんぼではないかと言われています。この山城は主郭が広く横堀、土塁の遺構がよく残っています。写真がありません🙇
◆助川海防城跡
水戸藩9代目藩主徳川斉昭により海防を目的として築城、本丸、二の丸、三の丸を備えた本格的な城郭でした。が、1864年の天狗党の乱により落城。今は公園として整備され残存遺構はほとんど無く、案内板のみ設置されております
畑の中の案内板 | ここも当時は曲輪 | 五段切岸 |
◆田渡城跡
道路沿いの細い道が城の入り口です(わかりずらい)。築城時期、築城者はよくわかっていないが佐竹氏本城の太田城防御拠点だったんぼではないかと言われています。この山城は主郭が広く横堀、土塁の遺構がよく残っています。写真がありません🙇
◆助川海防城跡
水戸藩9代目藩主徳川斉昭により海防を目的として築城、本丸、二の丸、三の丸を備えた本格的な城郭でした。が、1864年の天狗党の乱により落城。今は公園として整備され残存遺構はほとんど無く、案内板のみ設置されております
2日目 高部館→久米城跡→水戸駅
◆高部館
佐竹景義が鎌倉時代に築城、戦国末期の城です。遺構が非常に良く残されており、また整備もきちんとされていてとっても見学しやすく見応えのある城跡です。 南北に延びる10個の曲輪の城郭遺構です。 二の丸の先にある三日月堀も見事、東側は下までの一直線の天然の急斜面です
駐車場の案内板 | 堀がよく残っていますいます |
2の曲輪 | 三日月砦 |
◆久米城跡
鎌倉時代の築城ですが詳細は不明。佐竹氏の大田本城の西側を防備する為の城であったと言われています。
本城のある鹿島神社一帯を中心とする東の城、谷をはさんで北西にある西の城、その北側に北の出城、東の城の南側に南の出城 の4区画から構成されています。
V字谷の垂直の壁など、どこも縦堀、二重堀、横堀、堀切り 等のオンパレードです。必見です。
見飽きるほどこのような案内板があります | 本丸 |
二日目の城はどちらもかなり広い城跡なので、時間と体力があれば一日中でも散策できます。
予報された雷雨にもあわず、楽しく充実した2日間でした。
お疲れさまでした。