築地八町堀日本橋南之図 日本橋 神田浜町日本橋北之図 現・三越本店
東海道・中仙道・日光街道・奥州街道・甲州街道、五街道の起点である日本橋。その東海道を描いた歌川広重の「東海道五十三次」シリーズの巻頭を飾るにふさわしく、参勤交代の大名行列が朝早く江戸を出発する様子が描かれています。
また、魚を担いだ一団が、向こう岸にあった魚河岸から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。
「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と呼ばれ、一日千両を売り上げる程繫盛したそうです。
この作品は、ゴッホの日本趣味に対する強い憧れが如実に見える、浮世絵師の歌川広重の錦絵「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」を忠実に模写した作品です。32歳の時に移住したパリでゴッホは浮世絵と出会い、その構図や色彩感覚、線描画法などを自身の中に取り込んでいきました。この作品の最大の特徴は雨の描写です。この描写の仕方こそ、原図である「大はしあたけの夕立」の最大の特徴であり、西洋の絵画表現と大きく異なるところです。上空から降る雨は複数の長い斜線で描写されます。この錦絵独自の躍動感ある個性的な表現に惹かれて、ゴッホは模写を試みたのだろうと推測されています。大胆な構図で描かれる大橋や斜めに傾く水平線なども、ゴッホの心を捉えた点でしょう。原図にはない漢字による装飾は、日本趣味的表現を強調しようとして加えられたと推測されます。制作年1887年 素材/技法キャンバスに油彩
「This is Media」作品解説から転載 有難うございます。
チョット古いですが
春日八郎 名調子 ♪「お富さん」
♪ 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん
エーサオー 源氏店(玄冶店げんやだな)
歌舞伎「与話情浮名横櫛」では、当時実際の地名を用いることが幕府から禁じられていたため、当て字で「源氏店」(げんやだな)と表記している。
神田浜町日本橋北之図 柳森稲荷 筋違門
柳森稲荷 長禄2 年(1457)、太田道灌による江戸城築城の際、城郭鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請し、神田川土堤一帯に柳の木を植樹したのが創建と社号の謂れである。
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