豪徳寺山門
豪徳寺は世田谷城跡の西側にあり、もと世田谷吉良氏の館に接していた。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。
井伊直孝が鷹狩の帰り道、門前で寺の飼い猫(たま)が手招きをする、そこで直孝は寺に入り休息していると、突然の大雨と落雷があり、難を逃れることができた。その時の僧の説法から帰依することを決め、井伊家の菩提寺となり、寺勢が再興した。直孝の没後、直孝の院号「久昌院殿豪徳天英居士」にちなんで寺の名は豪徳寺と改められた。後に、お寺に福を招いた猫「たま」の墓を建て祀ったことが、招き猫信仰の起源といわれ、現在では『招き猫発祥の地』ともいわれる。
井伊家墓所
仏殿 延宝5年(1677年)建立。仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。平成2年(1990年)に世田谷区指定有形文化財に指定されました
井伊家江戸藩邸の赤門 井伊家の菩提寺には、彦根藩江戸屋敷のものと伝わる赤門が移築されています。小さな門のため、江戸屋敷内のどこで使われていたかなどはわかりません。ただ井伊の赤備えを今に伝える貴重な江戸の名残だと思います。
社務所玄関は、関東大震災後に旧佐倉藩堀田家江戸屋敷書院を移築したものだそうです。譜代11万石の大名屋敷の重厚感が感じられます。
三重塔 「ひこにゃん」は、この豪徳寺の招き猫がモデルになっている。
世田谷城
南北朝時代に吉良氏が足利基氏から世田谷領を拝領。世田谷に本拠を置いた武蔵吉良氏が代々居を構えた。以後、天正18年(1590)北条氏が滅亡するまで吉良氏が居城とした。
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上あり、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していた。豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城阯公園付近まで城域が拡がっていたものと思われます。
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