本丸櫓内展示物 櫓1階内部
2階へ 2階内部
田中城説明板
香川元太郎先生鳥瞰図
3行目の長谷川正長は一族21名、総勢300名で徳之一色城に籠城するが、(この時はまだ円形の城ではなく方形の城)武田軍の攻撃に耐えられるず大井川を渡って遠江に逃れ、徳川家康に仕えるようになった。その後、元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いにおいて、正長は武田軍と戦いで討死を遂げるが、次男の伊兵衛宣次は家康の小姓を務め、やがて旗本となる。その子孫は徳川家の旗本として続いており、江戸時代に火付盗賊改役として活躍した「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(のぶため)を輩出している。
こういう歴史の糸の繋がりを見つけられるのがお城を見て歩く楽しみの一つですね。
棟方志功画伯作 田中城
本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。
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