旭傳院に城門が移築され現存している。
平島口の門を規模を縮小して旭傳院の山門としたか、城内屋敷の門を移築したのかはっきり分かっていません。
田中神社は、今からおよそ410年前、甲斐の武田信玄が領土の安泰のために田中城を増築し、守護神として宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を稲荷社に祀まつったことが始まりです。宇迦之御魂神は「お稲荷様」として親しまれ、五穀豊穣や商売繁昌、家運隆盛の神として武家や一般、代々の城主の信仰も厚かったそうです。
今からおよそ五百年ほど前、今川氏が駿河国に勢力を誇っていたころ、藤枝の田中に城が築かれ、城内に氏神さまがまつられていました。しかし、この城が武田氏の手にわたると、この氏神さまは保福島というところへ移されました。それからは、土地の人たちによってまつられてきました。これが、保福島の大井神社です。
江戸時代になると、田中城の殿様も、大井神社はもとお城の中にあった氏神さまだったということで、おまいりするようになりました。
安永9年(1780)に建立された大井神社は、田中城主本多家の崇敬があつく、多くの寄進は勿論のこと、家紋である立葵紋を神紋とすることも許している。なお、本殿は鞘堂のよって保護されており保存状態も良好である。
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