●現在地
飛竜丸。初代高松藩主松平頼重在世の寛文9年(西暦1669年)に、藩主の御座船として造られ、のちに、新造された御座船にも同じ名称が使用された。飛竜丸については、「御船□□役心得方覚書」に「2人掛り48挺立(大櫓)、水夫90人、凡(およそ)石目1092石3斗」と記されている。
水任流泳法は、高松藩祖松平頼重公が讃岐へ移封された直後から、讃岐は海辺の国なれば水練は武道の一班として藩士に修練させようと、翌寛永20年(西暦1643年)、今泉八郎左衛門盛行に命じて大的場堀溜海岸で藩士に伝習させた。毎年夏には、大的場水練所において藩主の上覧が行われ、藩の水練として奨励した。
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