san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 栗林公園 1

栗林公園」 本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘」は、高松藩主の松平家11代の国もとの下屋敷として、228年間使用された。1745年(延享2年)第5代藩主頼恭が「名所60景」を撰名し、作庭が完成したとされる。「名所60景」は、南庭に46景と北庭に4景の、50景が現存する。

栗林公園には様々な大きな池があり、庭園部分の約2割を占めていて、これらは互いにつながっている。水源は紫雲山の地下水も多少あるが、おもに公園の南東隅にある「吹上」と呼ばれる場所で湧き出ていて、短く浅い小川となって池にそそいでいる。高松市のおもな河川である香東川は現在紫雲山の西を流れているが、往時この川の本流は紫雲山の東の栗林公園のある場所から中央通り(国道11号・国道32号)を通り、玉藻公園高松城址)の脇で瀬戸内海へそそいでいて、江戸時代の改築で本流を現在のように変えたあとも、伏流水が栗林公園で湧き出ている。現在は近くにある二つの井戸の水も使われているとも、往時はこの水源の小川で「曲水の宴」を行なったともいわれる。

ウィキペディアWikipedia)から転載。有難うございます。

                     ●現在地

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