
















建物跡は、掘立柱の建物で桁行7間、梁間4間(15×7.2メートル)の大きな建物から桁行3間、梁間2間(6×2.5メートル)の小さなものまであり、現在、本館の前に丸太を建てて建物があったことを標示しています。この建物跡は、柱と柱の間隔の長さや、出土した遺物から江戸時代のものと推察されます。
発掘調査で検出された7m×15mの規模の柱穴跡から復元したものです。
井戸跡は、深さ2~3メートルの素掘りの井戸で、発掘中も常時水が湧いていました。
嵐山町web博物誌ホームページより引用





二ノ郭桝形復元図(画 田畑修)嵐山町web博物誌ホームページより引用



三ノ郭から二ノ郭へ入る小口は、桝形となっており、堀にかかる木橋を側面から包み込むように土塁が「コ」字形にめぐらされています。現在では土塁と堀の一部が失われてしまっていますが、畠山重忠公の像の西側が小口の場所となります。
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