
『日本風景選集 岡山後楽園』 昭和9年作
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。
1871年(明治4年)2月7日に藩知事に就任していた池田章政が日を限って一般に開放した。この時、「御後園」の名称を中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)からとって「後楽園」と改めた。
ウィキペディア(Wikipedia)から転載。有難うございます。
今日の政治家はこの言葉を煎じて何杯も飲んで欲しいものです。

延養亭(えんようてい)後楽園の中心的建物。
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年(1960)に第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
写真は巴水の浮世絵と同じにように偶然、延養亭の前を人が歩いていますが、残念ながら鶴は渡って来ていません。
松の植え込み等も戦災に遭う前と大体同じように植えられています。