san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻るお城

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守地下

●現在地 天守地下入口 地下石垣 ●現在地 天守台四方 本丸 中櫓石垣 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 地久櫓 天守台

●現在地 「老子」から。「天長地久」天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと。難しい言葉ですね。 ●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにし…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 鞘橋 本丸

●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

明けましておめでとうございます

いつもブログを見て頂き有難うございます 本年もブログをアップしていきます 変わらずよろしくお願い申し上げます皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守復元イメージ 鞘橋

高松城復元の取組 パンフレット「高松城天守-天守復元の取組-」刊行 文化財課では、高松城の天守復元に関する取組を紹介するパンフレットを作成いたしました。 高松城の天守は、かつて四国最大の規模を誇りましたが、老朽化により明治17(1884)年に解体さ…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 披雲閣庭園

●現在地 ●現在地 玉藻廟 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 一文字土居 

●現在地 一文字土居石垣造りの一文字土居(蔀土居)です。三の丸御殿の入口であった桜御門を潜ると、御殿が見えないように、また直進できないように、直線の土塁が設けられていました。 一文字土居(勢留石垣) 虎口の内側や外側に、一文字形の防塁(土塁や…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 天守台 桜御門

●現在地 天守古写真 明治15年 天守台玉藻廟 本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。 玉藻廟は,高松松平家第11代 当主松平頼聰が松平家鎮守の廟 として高松…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 桜の馬場 生駒時代大手門

●現在地 桜の馬場 西の丸内の桜の馬場。その名のとおり桜が植えられ、馬場があった。現在は桜の花見の名所になっている。 生駒時代大手門があったが、御殿であった披雲閣が三の丸に移されたためこれを廃し、新たに桜の馬場東端に旭橋と旭門を設けた。桜の馬…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓櫓(移築艮櫓)

●現在地 説明板 太鼓櫓(移築艮櫓) ●現在地 艮櫓 古写真 艮櫓より見る枡形 狭間 ●現在地 ●現在地より見る太鼓門枡形 艮櫓 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓御門(大手御門)

●現在地 太鼓門説明板 石碑 旭橋 旭橋より見る中堀 旭橋より見る太鼓櫓 太鼓門高麗門 高麗門 旭門 案内図 枡形内埋門 ① ② ① 笑い積み 大きな石を中心に置き小さな石を周りに積んで、大きな石が口を空けて笑ったように見立てた積み方です。 生駒親正藩主の遊…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 太鼓御門 移築艮櫓

東ノ丸は生駒氏にかわって入府した松平氏によって新造された部分で、1671年(寛文11年)頃より行われた大改修の際に北方の海辺を埋め立てて築かれた曲輪です。 海辺の為、地盤が軟らかい場所に石垣を築くとき角度を90度でなく鋭角75度から80度で積み崩…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 東の丸 2

余談です。高松城の初代藩主は水戸黄門のお兄さん。兄を差し置いて水戸藩の藩主となった黄門さまは自分の跡取り(水戸藩主)に兄の子を迎えました。それに感動した兄は黄門さまの子を高松城の藩主として迎えます。以後250年、明治維新まで実子の無い時こ…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 東の丸 1

東の丸 1671年(寛文11年)の松平氏による大改修で、北の丸と共に北方の海辺を埋め立てて築かれた曲輪です。主に米蔵や艮櫓、巽櫓などが建てられた。海辺の為、地盤が軟らかい場所に石垣を築くとき角度を90度でなく鋭角75度から80度で積み崩れにくくし…

縄張図片手に廻る屋嶋城(やしまのき) 2

1998年、屋島のふもとに住む平岡岩夫さん(77)は「幻の城」を探していた。中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備えて667年に築かせた山城とされる「屋嶋城(やしまのき)」。日本書紀に記述はあったが、その存在を示す石垣は見つかっていなかった。 城の痕跡をた…

縄張図片手に廻る 寄り道して屋嶋城(やしまのき) 1

屋嶋城は二重防御の城である 。浦生(うろ)地区の遺構は、進入路を塞いだ遮断城で、大野城と水城・鬼ノ城と水城状遺構と同類とされている。 私は浦生石塁を訪れたことはありませんので説明の為の上の写真2枚を『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させ…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 北新曲輪月見櫓(着見櫓)

① ①『古今讃岐名勝図絵』 梶原藍水 著 高松城海上からの眺望 国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開(保護期間満了) 瀬戸内海に映える西の丸、二の丸、三の丸、北新曲輪、米蔵曲輪の各櫓、白塗壁の美しさは想像を超えるものがあったと思い…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓瀬戸内海側

●現在地 飛竜丸。初代高松藩主松平頼重在世の寛文9年(西暦1669年)に、藩主の御座船として造られ、のちに、新造された御座船にも同じ名称が使用された。飛竜丸については、「御船□□役心得方覚書」に「2人掛り48挺立(大櫓)、水夫90人、凡(およそ)石目109…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 三の丸 北新曲輪月見櫓(着見櫓)城内側

●現在地 上段の落積(谷積)部分は江戸時代、土塀白塗壁でしたが明治時代に撤去され、その後積み直されたと思います。高松城の瀬戸内海側の石垣上の土塀白塗壁、櫓は撤去後、皆、石積みにて補強されています。荒天時の瀬戸内海の波を考慮したものだと思いま…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 二の丸 2 水門 

●現在地 ●現在地 ●現在地 赤線内の痕跡 二ノ丸と三ノ丸の間の水門は、堀と海を唯一つなぐ重要な役割を担っています。『旧高松御城全図』(香川県立ミュージアム蔵)には水門は描かれず、枡形が描かれています。また、二ノ丸北側の石垣には、石垣を一度取り壊し…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 二の丸 1

●現在地 ●現在地 ●現在地 本丸 鞘橋 内堀 二の丸 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうか…

縄張図片手に廻る高松城(讃岐国) 

① ② ③ ④ ① 高松城は、香川県高松市玉藻町にある。国の史跡に指定されている。 高松城は別名「玉藻城」、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。 ② 城郭…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 移築された建造物

旭傳院に城門が移築され現存している。 平島口の門を規模を縮小して旭傳院の山門としたか、城内屋敷の門を移築したのかはっきり分かっていません。 田中神社は、今からおよそ410年前、甲斐の武田信玄が領土の安泰のために田中城を増築し、守護神として宇迦之…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 二之丸堀 本丸

●現在地 本丸及び二の丸跡には西益津小学校が、三の丸には西益津中学校がそれぞれ設けられ、遺構の保存状況は必ずしも良くないが、一部の水堀及び土塁が残る。 大手二の門に架けられていた木橋。当時とほぼ同じ場所に同じ大きさで再現しています。 ●現在地 ●…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 新宿二之三ヶ月堀

●現在地 ●現在地 この門だけ三ヶ月堀は設けられなかった。 ●現在地 ① ① 穴山梅雪の領国であった江尻城は巴川を背後に控え各虎口に丸馬出しが設けられていた。堀も巴川の水が引き入れられた水堀であった。現在は市街地化により、当時の姿は残っていないが、本…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 大手一之門 家老屋敷址

●現在地 ●現在地 田中藩では、天保2年(1831)から本格的な藩政改革への取組みがはじめられた。江戸から招かれた儒学者石井縄斉が中心的な役割を果たし天保8年(1837)に藩校日知館が開設される。恩田仰岳が師範役の座につき、設立当初の日知館の師範は文学…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 三之丸土塁 三之丸堀 平島三ヶ月堀

●現在地 ●現在地 ●現在地 初代田中藩主となった酒井備後守忠利は、藤枝宿から城内に通じる大手口を開設し、東海道と田中城を最短距離でつなぎました。これにより、大手口が田中城の正門となり、平島口の城門(平島一の門)は開かずの御門となりました。 ●現…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 三之丸土塁 三之丸堀

●現在地 ●現在地 ●現在地 本日もブログを見て頂きありがとうございます。 感謝申し上げます。お城でお会いできる日を楽しみにしています。 本サイトの内容(写真の説明、記事等)に誤りが含まれている可能性もあります。 どうかご容赦ください。

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 松原木戸

●現在地 外堀跡の常夜燈「天保六乙未年三月」1836 ●現在地 松原木戸古写真 大手絵図 ●現在地 ① ② ① 大手、正面の道が松原木戸に向かう。絵図によると木戸・番所が設けられていた。 横切っている道路が旧東海道。左方向静岡、右方向掛川 初代田中藩主となった…

縄張図片手に廻る日本で唯一の円郭式城郭 田中城 平島木戸

●現在地 ●現在地 この道路の左内側に幅7.2m深さ2.42mの外堀(四之堀)、堀の内側に高さ2.12mの土塁が築かれていました。江戸時代この道路は有りません。しかし、明治に入り同心円状の堀に合わせて道路を建設していきました。田中城の周りの道路は全周では…