san-nin-syuの城旅

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「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

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縄張図片手に廻る彦根城 三の丸 鈴木屋敷長屋門 外堀跡

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●現在地 旧鈴木屋敷長屋門

旧鈴木屋敷長屋門(現・彦根市立花町2−10) 旧鈴木屋敷長屋門は棟束に文久2年(1862)の墨書銘があり建築年代のはっきりしている重要な建物です。 

建物は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は、腰壁は下見板張り縦押縁押え、武者窓、潜り戸付き、内部は門扉から見て向って右側に1部屋、左側に3部屋あり、中間部屋や女中部屋、厩、倉庫として利用されてきました。旧鈴木屋敷長屋門は建築年が明確で江戸時代末期の中級武家屋敷の遺構として貴重な事から昭和52年(1977)に彦根市指定文化財、平成22年(2010)に歴史的風致形成建造物と景観重要建造物に指定されています。

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●現在地 切通口門跡

彦根市教委文化財課は、佐和町で発掘調査をしている切通口(現・彦根市佐和町1)から、櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見したと発表。彦根城の外堀の7つの城門では初めての具体的な遺構の確認となる。

 切通口は藩主らが彦根と江戸を行き来する際に必ず通過する城門の1つで、格式高く見せるために櫓門にしたと考えられる。御城下惣絵図によると、外堀の7つの城門で櫓門は高宮口や池州口でもその可能性があるが、確定したのは切通口が初めて。

 文化財課では「近世城郭の外堀の城門跡が検出されるのは全国的に見ても希少なため、極めて貴重な遺構。江戸時代の彦根城の石垣修理の内容も確認でき、重要な発見だ」としている。

2017年1月17日「写真、記事、滋賀彦根新聞」から転載。有難うございます。

研究員の足元の白い石が門の礎石、手前の石は石垣。本丸の太鼓櫓門とほぼ同様の建築様式と推定される。

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●現在地 護国神社前外濠跡

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