●現在地
記事の中の寸法(石垣高さ、堀巾、その他の寸法)は「彦根御城下惣絵図」「御城内御絵図」の数字を参考にしています。
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●現在地 徳川秀忠判物
徳川秀忠判物 1通. 重要文化財. 縦46.6 横66.0cm. 江戸時代 慶長9年(1604)7月15日. 彦根藩井伊家文書
徳川秀忠が当時の井伊家当主である井伊直継に宛てた判物。彦根城の築城工事開始後まもなく、普請の様子を窺うため、使者を彦根に遣わし、炎天下の作業の労をねぎらっている。秀忠が城郭普請の進みぐあいを気にかけていることがわかり、幕府政治における彦根築城の重要性を伝える貴重な1通。 ウィキペディア(Wikipedia)から転載
鹿児島で今も唄われる関ヶ原の戦いの歌
妙円寺詣りの歌 作詞 池上 真澄 作曲 佐藤 茂助
1、明くれど閉ざす雲暗く 薄(すすき)かるかやそよがせて
嵐はさっと吹くき渡り 万馬いななく声高し
2、銃(つつ)雷(いかずち)ととどろけば 太刀稲妻ときらめきつ
天下分け目のたたかいは 今や開けぬ関ヶ原
3、石田しきりに促せど 更に動かぬ島津勢
占むる小池の陣営に 鉄甲堅くよろうなり
4、名だたる敵の井伊本多 霧にまぎれて寄せ来るや
我が晶巌ら待ち伏せて 縦横無尽にかけ散らす
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