san-nin-syuの城旅

san-nin-syuの城旅

「歴史を廻る会」の活動の様子をお伝えします。

3月22日~23日 近江の城巡りの報告

      
緊急事態宣言前の最後の散策会となってしまいました。
遅れましたが、散策会の様子をお伝えしたいと思います。

2020年 3月22日(日)~3月23日(月)

1日目 米原駅→鎌刃城→昼食→横山城→三成屋敷
2日目 上平寺城→資料館→山本山城→大谷吉嗣の首塚

 コロナウィルスのの影響もあり数名のキャンセルが出ましたが、
5名で近江の城めぐりに行ってきました。
本来ならば2日目は、彦根城の見学を予定していましたが、天守閣等が閉鎖されたため、山本山城の見学としました。

◆鎌刃城跡
戦国時代の近江国は、湖南を守護佐々木六角氏が支配をし、湖北を京極氏や浅井氏が支配をするという分国の状況であった。その両国の境目に位置したこの城も国境警備を目的とした山城であり、かつこの場所を支配する堀氏の拠点城郭となる。
その後いくつかの戦乱を経て湖北を支配した信長がこの城を堀氏に任せるが、浅井氏滅亡後の湖北支配の関係で、1574年突然改易されこの城も廃城となった。
城は384mの山頂に築かれ主郭を中心に三方向に曲輪や堀切や土塁が設けられている。

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鎌刃城跡遺構図

今回の散策会では、北の尾根から入り西の尾根を 降りて行った(初挑戦)
ロープを頼って、滑り落ちるように下って行ったので、ひどく緊張をしたが<西ーⅤ・西-Ⅵ>にある畝状竪堀群を初めて見ることができた。大感激‼ 
「皆さん、ここを降りて戻りましょうか」と提案してくれた講師の先生とそれに応えてサポートをしてくださった会員のHさんのおかげです。お二方ありがとうございます。

 

 

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        ここからスタート            大手口

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      北の曲輪の大石垣             主郭虎口

 



 

 

  主郭南面の石塁と石段

 

 

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西の曲輪 連郭式に曲輪が配置されている。

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西曲輪の畝状竪堀群もしっかりと確認できた。こんな場所に連続竪堀があるとは。
講師の先生曰く・・・近江ではあまり見られない構造とのことです。


横山城
この城は上平寺城の支城として京極氏が築いたといわれている。以後争奪戦を繰り返し、浅井氏の基地として機能を果たすようになる。その後「姉川の戦い」の前哨戦で浅井氏から横山城を奪った信長は秀吉を城番とした。以後小谷城が落ちるまでの3年間、秀吉はよく守り続け自らの出世の足掛かりとなった城である。主郭からは東に伊吹山、北の小谷城が遠望できる要衝である。
また山麓には、三成の「三献の茶」の逸話が残っている観音寺がある。

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少し雨にふられたが、二重堀切、竪堀、土塁、井戸など残っている。
山麓から本丸は片道30分ほどで行くことができる。
秀吉はよくここに3年間も居たなあ・・・

◆上平寺城
伊吹山山頂から南側に伸びる尾根上にあるこの城は、京極氏の詰めの城として京極隆清のよって築かれたと考えられる。1523年の家臣団のクーデターにより高清が失脚すると、主城としての機能を終えるが、北国脇往還や、東山道美濃国境を防衛する境目の城として機能した。浅井長政織田信長の侵攻に備えるため修築をしたが、城番の堀・樋口の裏切りにより、戦わずして織田方に開城し以後廃城となった。
現在みられる遺構はこの時のもので尾根を断ち切る強大な堀切、竪堀、土塁で組んだ曲輪など山城の姿を見ることができる。

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この城の麓に京極氏屋形跡と庭園がある。
また、弥高寺(やたかじ)までの道が整備され30分ほどで行かれるとの情報を得て行ってみた。アップダウンの道が続きかなりハードに感じたが(40分はかかった)大堀切と土塁を見ることができた。

 

 

 

 

 

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京極氏庭園跡                土塁と横矢で阻まれる二の丸虎口

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(左は本丸)   東側に関ヶ原、西側に琵琶湖が見下ろせ、南側は、美濃と越前を結ぶ北国脇往還が通る。まさに要所に建てられた城。まさに名城だ。頂上からの写真がないのが残念。
(右)北側に位置する大堀切と土橋。信長の侵攻に備え修築したという見事な土橋が無言で歴史を伝えてくれているようで戦国ロマンを感じる。

山本山
この城は平安末期に近江源氏山本義経が築城したと伝えられる。
戦国時代の末期にはこの城は小谷城の重要な支城となり、浅井氏に仕えていた
阿閉貞征(あつじさだゆき)が城主となる。阿閉氏は最後は織田方に降り小谷城の落城を決定づける要因となった。
上りはきつい場所もあるが三の丸、二の丸、土塁など遺構がみられる。頂上からは琵琶湖が望める。

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◆<追加>三成屋敷跡、大谷吉嗣首塚

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予定にはありませんでしたが、三成屋敷跡、石田神社、大谷吉嗣の首塚に寄りお参りをしてきました。予定以外の場所にも寄れるのも”歴史を廻る会”ならでは。そういえば、マンホールスタンプ設置場所にも2か所行ってきました。

2日間本当によく歩きました。そして和気あいあいで楽しい城めぐりでした。参加者の方が『近江では山を見たら城と思えだね』と、言っておりました。その通りです。『次回はぜひ長比城(たけくらべじょう)に行ってみたい』という要望もありました。
今はコロナで自粛の時期ですが、終息しましたらまた皆さんと城めぐりを楽しみましょう。
遅くなりましたが参加されました皆様お疲れさまでした。

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